この世で対話が成立することのほうが稀である

対話について考えていたが確かにそれは

成立するほうがマレというもので

オレが記憶をさかのぼるに

対話

というものがかろうじて成立していたのは職場としては

やはり宮古市にいたときの上司くらいのもんで

それ以外で対話が成り立ってたような(対峙が成立したような)

人間は

いなかったなあどこにも

つまりそれらの人物たちは職場における「階級」に

応じた振る舞いをしようとすることだけはやっていたが

人間と人間で対話しようとすることを試みることさえもできなかったわけだ

 

まあ別に宮古市にいたときに人間同士の対話があったからといって

なにか紐帯ができたかというとできていないので

そことは別の問題だけどね

 

まああれです対話というのは「問題について論じる」ことを

つきつめる態度ですよ

問題がある

それはなにか

それはどのように発生しているのか

それはどのようにすれば解決(解消あるいは発展)するのか

 

なんでもそうじゃんね

売り上げを上げたい

ある人間が疾患あっても生活を成り立たせたい

トイレがすぐこわれる

 

なんでも問題ですよ

問題はプロブレムであってさらにイシューであって

課題であって議題であって

そういうこと

 

書いてるとオレはなんだか頭がすっきりするのである

(そのようにセルフで訓練をつづけてきた御陰である)

自分で対処するしかないもんで だもんで