かようびがやってまいりました
よきよき
昨日の「よきまるハウス」がドラッギーでよかった
本質的にETVのこども番組の
「人間ではないけど人間語をはなすやつら」つまり
人造生物たちは
みな
性格が明るいというか友というかある種の
逸脱をよきものとしてとらえた結果というかクローズアップというか
昨日はとくによかったねえ
基本たぶんサボさんとシュッシュがベースのホストなんだが
ゲストが暴走するやつだったから
名前はわすれた
再放送あるからチェックせよ
(後記:チェックしました「わんわんワンだーらんど」から
きた
ジャンジャンという無軌道な犬だ)
この番組
操演する人形もいるのだがそのなかに赤ちゃんがいて声が
あやねる
なのですがほとんど喋ってる時間が少なかったのではないか??
と思う次第
(後記:そうではなくナレというか進行がそのアカチャンだったのね
いやー
すごいよ)
いまさらどうこうではあるが「あやねるが男性声優のセンパイと」のラジオ
は本当にそのダメセンパイの役をしてた人がダメなのかどうか
なにしろオレはその人の名前もわすれたのだが
佐倉くんはどんどん大きくなっていったわけだが
どっちかというとオレはそのダメセンパイの側であって
つまり悲哀であるが
そこを悲哀にしてしまうとつまんないわけで
世の中のものは素晴らしいかつまんないかの
二択みたいなもんで
本人が素晴らしいと自認することができればそれでいいのではないかとは
オレが大昔からそう思ってたことで
なぜなら認識には限界があって
他人の評価の底は外から見えないからである
だから知ることはできないわけで
知れないものーはかりしれないもの^測ることのできないものは
直地も蝕知も完治も感知も触知もできないものなんだよ
そういうものは「観測できないもの」として存在するが
個人の認識の中では「存在しないもの」といってもよい
わからぬものやとどかないものを気にしてもしょーがないではないか
それよりはわかるものとどくものに正対してやっていくほうがいい
べつにみえないものとどかないものを「なかったことにしたい」わけではない
並行した宇宙ではすべてがそれぞれ存在することはわかっているし
他人の認識はそれぞれが並行で並行だからこっちから見えず触れないだけということ
あることはあるんだよ
観測できなくても
ある
それこそ「潜勢力」みたいなものだって観測できないじゃんね
想定ができるだけで
でも想定ができるだけでもそれは「ある」としていいんじゃないの
という立場です
あんまりそういうものを「ある」にしすぎるのもいかがなものか
といって
もともとは何も無いし存在しないんじゃ
としたのが仏教のそれであってこれはこれで「極端な設定」をつきつめたほうの
考えだがすべてはなにも存在しないつまりすべてが「ない」
のであるが
すべて「ない」というのはすべてという語があることからわかるように
「すべてはある」と「すべてはない」は
ほぼ同じことを言っているわけで
汎神論というのは神が遍在することを唱えているがそれは同時に
神はどこにもいないと言うのと同じこと
なんじゃないのかねえ=~~