映画「アフターサン」について

静岡シネギャラリーでみてきました

 

これから宇多丸氏の批評を聞くのでそれのあとに

感想かきます

かなしい映画だったが

かなしさは不変的で普遍的なのかなあって

思ってしまったよ

なにもなくても

もし離れ離れではなくともに暮らしていたとしても

父からみた娘って絶対離れていくもの

(それは結婚とかうんぬんをもともと別にして存在

自体が可愛くて仕方がないところから出発するからじゃないの?)

ではないかと思ってしまった

 

人間が子に思う感情なんかオレに

実感としてわかるわけないじゃん全部想像だよ

 

娘と父の映画を立て続けに見ているなあオレはこれで3本目だよ

フランスフランスそしてスコットランドだよ

(「すべてうまくいきますように」「それでも私は生きていく」)

エジンバラに「故郷」を感じたことはないってパパは言うんだよね

パパはどうしてママと別れたのかな?

 

(フロにいってくる車の中でききおわりましたムービー

ウォッチメン

 

まあいいや

 

オレの気がつかないところもたくさんあるし

でも言われてみればたしかにパパは動作行動そのものが

あやういね

 

そして

 

ソフィーの

考えていることはわからなくても

なにかを

なにかを考えているそしてなにかをみている

みているねえ

おねえさんとお話ししたりしているねえ

そうだねえ

 

とにかく説明しない映画なのだが

 

記憶にはのこる

 

宇多丸いわく記憶というのは

目でみたもの耳できいたもの

そういうものを「あとから」思い出して

それについての解釈によって構成する

つまりそのつど再構成するものであるというし

 

その作業はすなわち映画鑑賞そのものである

とな

 

そうだね

 

そのつど記憶の構成結果もかわるということだ

 

その話しはオレに深くつきささるなあ

 

オレはなんというかそういうものを

オレもそういうものの素材になるものを

つくりたいんだよね

 

いい映画は俳優がいい顔している

とてもね

今回も11歳のソフィーの顔が

すごく

素敵なんてもんじゃない

 

「モールス」(Let me in)における当時の

クロエ・グレース・モレッツ

(オレの記憶の中でこれ以上の子役はいなかったくらいのすごさ)

と同じくらいすごかったよ

 

まあもちろんSomewhereのエル・ファニングとか

おそるべしみたいなのはたくさんあるんだけどねえ

 

以上です