帰宅

はあまさに毎日熱いのであって

それはもうすごいのよ

だからクーラー(車)もロクにきかないシーンもあり

はしらせながらあきらめてクーラー消して

窓をあけて

大きい音量で昔のアニメソングをかけて

しみじみする曲ばかりで

いっかいこの世がすべて消滅解体してしまったあとの世界

みたいな世界観が大きいのである

そういうのに憧れがあるのだる

虚無である

なにしろ解体してしまって虚無の世界だから

なにかを達成するとかするどころではなく

 

これはなにかに似てると思えばそれは災害がまちをたいがい

ぶっこわしたあとのまちなのである

そういう体験って

ある人はあるしない人はないのである(まあ戦争はそれと同じとも

いえる)

オレは水害がある

そう

水害のあとの朝の

くそ熱いのと土が埃になってけむたいのと

仕事はあるものの

片付けがメインで

片付け以外のことはなにもできないしそのさきなど

考えられない

という世界なんだよ

 

そういう世界ではくだらないことを

悩む暇がないのである

 

くだらないこと

たとえばあの子がかわいいんだけどあの子がお見合いするってさ!

オレは何もできないけど!

みたいなのが身近なくだらないことである

 

たとえば映画「ウーマン・トーキング」は

まさに日の期限が迫っている中で

女たち(とここが議論のそれなんだけど子供たち

はたしてミドルティーンの男はコドモ?とかね)

議論をまとめないといけないしそれはつまり

女たち生命そのもの

に関わって直結している

のである尊厳

 

そういう「くだらなくない焦点が1つ眼前にありこれが明かるく

全体を照らしてそれ以外になにもみえない」のが

災害のあとであり

すべてが解体したあとのディストピア世界なのである

ひとつだけなのだ

 

ああいいいところで中断している『闇の左手』

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