ごご

まったく電車にのりたい気分にならん

こんかいの夏18は

3日分使用でおわりっつうことで

まあこれもひとつの

メモワールですよ

 

NHK72時間ドキュメント

パキスタンにおけるアフガン難民

の食堂

であったりそこにくる客

客じゃないけど店前につどう難民(恵みを待っている)

パキスタン人のほう

それから貧困家族の難民(3人のこども)

商売はコピー屋(パスポートスキャンとか)

ぜんぜんもうからんという

 

なんとかさいごまでみようと思うが

なかなかきつい

 

さっきまで図書館でせめてかえすまえに

1冊よもういうて読了した

石田夏穂『我が手の太陽』

溶接工の話しであるが超自然的なムーブ

を扱いながらもかれは40そしてプライドそして

失敗そして周囲とのあつれきルール違反

怪我

などなど

怖い小説である怖さというのはえたいのしれない

なにか抗い難いものがそこにある

謎をふくめてそれに抗うのが難しい

ような

 

それこそ小山田浩子『穴』

でのその超自然的な(動物)についても思ったが

そういうなにかこの世のもの

ではないようなものが登場するそれは

まったく誰もそれを知らないような

観たことのないような

だからそれを知る捕まえる対峙することはできない

 

純文学には「型」がないからいいんだとハンチバックの

市川さんがいうておった(いわゆる中間小説とかコバルト大賞みたいなのは

ある程度のフォーマットにはまらないとだめだけど純文は完全に自由だと)

 

あと午後にETVでおらおらでの若竹千佐子さんのインタビューやってて

ほんとになんかこうじっさいにノートをつけてみるみたいな

自分との対面というかそういうのがもう何十冊もあって

そういうなんか全面的なところまで掘り下げてからあとに出てくるもの

みたいのじゃないと他人に向かっては

それは通路にならないってことなのかなあとちょっと考えました

そうだねえ

じっさい親子とか怖いねって思ったら親子の怖いところをまじまじと

観ないとそれはそのように怖さは書けないってことなのだろうな