じゃあその「読書で⇒自尊心がみたされていい気分」
なのはそういう
まあそれでもいいと思うんですけどねえ安上りだし
というかね
考えることをするというのはそれなりにコスト
コストじゃねえな
条件がととのわないとできないんですよ
まず今の現実をいったん目の前と意識から消した上で
その本の中に描かれてることにあたまを集中させる作業があって
これだけでもなかなかなあたまの操作ですよ
世の中には「本というものを読めない」人もいるんですからね
努力の程度の問題ではなく
そもそもできないしそれは脳の構造の問題のほうで
別の方法で生きてってもらうしかない
オレは読書と脳の構造がびったりうまくいってたのでそうしただけだ
とオレは考えるようになってきたのだが
それでは「内言」の問題はどうしたらいいのか
そういう人でも内言をもって「思考」しているのか
してるの?
さあ・・・・
このあたりが「他人とのコミュニケーションは成り立たない 一切」
というテーゼとのからみだと思うわけですよ
成り立たないのになぜ人間は社会をつくっていられるのか?
21世紀になってもえんえんヴィトゲンシュタインの考えたことは何回もくりかえして
登場するのである
それは言語と規則って話しなんだけど
内言が「言語ではない」といわれるときに
それは「言語の規則からいうと」そうかもしれませんけども
実際には内言すなわち頭の中で自分から自分に向けて考えていること
が
言語ではないわけがない(言語にきまっている)
というのは明かだと思うんだけど
その場合はかれらのつかう言語の定義とは違う定義を
もってくる必要がある
んだろうね
オレはこの日記でいつからかどこかからか無限に近いオレの
脳内で考えたこと考えていることヒントその他を
そのままの形で文書または語
にできないもんかと考えて他人がその文を理解できようが
できなかようがかまわずそん形のままで字を
キーボードに高速でかきつけてUPすることをはじめてもう
数ねんにはなると思うのだが
オレの考えてることなんて文章の形にしてみればたかがこんくらい
の分量しかないのかとがっかりすることもあるし
まあすごいことを光速で考えてるんだ!といっても
こんなもんであって
そうですよね
でも断片をあつめてくるしかないんですよねたぶん
ね
駒野さんの「カユラジャ」をきいてる
ジャズ・トゥナイトのバックナンバーをきいている
20211211かな
この日はたぶんオレがジャズ・トゥナイトの録音を開始した日だ
おもしろいのは「今回の新譜の紹介」である
おもしろいなあ=~
「アート・シーン」っていう15分の「いまやってるおもしろい展覧会」
が一番おもしろいんだよ
やっぱあさっていくかDIC
いまやっと行動が
できそうになってきているから(健康面でも)