9月30日(土)

月末である

0255に目が覚めたトイレにGちゃんがいたのでスプレー殺虫成分により殺しつくして

から死骸をかたづけるついでにトイレを床のほこりとともにきれいにした

のであった

 

あっちのついったのgちゃんはあいかわらず「夢を追う」に悩んでいる

(正確には夢を追うこと自体はなにも悩んでいないが

金がなく金のための労働にまだまだ悩まされている)

労働は

それ自体

「したくないのにしてる」金のために

 

のものだ

 

基本そうなっている(いまは)

 

昨日は佐倉から東京のりかえ

時間すくなかったがOAZO丸善をのぞいて

DグレーバーとDウェングロウの

の『万物の黎明』が

どどんとならべられてるのをみた

 

まだそれを買うところにいかないが

もちろん買ってもいいんだよ

たぶん労働(とそこにある苦しみ)は

社会(人間の)に

必然でもないって書いてあると思うんだ・・・国家が必然ではないようにね

・・・それとも国家は必然ではないが労働は形をかえてそこにあるとでも

書いてあるのだろうか?

他人とか他人の意志の集積としての社会が形成されてオレに労働をしいる

ようになっていることはそれはなしですますことはできないのか?

か?

 

来月(10月)の9日’月曜日祝日は実家にいきます

5も休みだけど5は健康診断なのでそれだけでつかれちゃう=~=ん

のよ

 

やっぱ買うかねグレーバーとウェングロウ

できればリアル書店で買いたいけどね・・・リアル書店

つぶさないためにね