時間があるとすること(意義)

まあ意義はどこにでもある(みつけられる)

のですが

・オレが何を面白いと思うのか

ですが

面白いものはただ座っているだけでは訪れないので自分から

そっちにいかないといけないのですね

 

無職になってまあ概算今日で1週間であるが

なりゆき

に任せてはいるがだいたいしたいことそして

時間がまとまったらしたいと考えていたがそれまでできなかったこと

をしている

1週間のあいだに

・レコードプレーヤのせる台の板にステンとラッカー水性ニスを二度塗りした

・録画してた青ブタをDVDに焼いた

NETFLIXに課金をつぎたしウ・ヨンウをたのしんでいる

・録画の「久保さんは」を6話あたりからあらためてみている(うっとりしている)

これらのそれは時間がまとまっていなかったらやらなかったし面白い

 

さらに

書くことにプロットと肉付けを開始しているし(11月中に50枚くらい書きたい)

読書もすすんだおかげで

資本とイデオロギー(ピケティ)

万物の黎明(グレーバー/ウェングロウ)

を共によみはじめて

とくにピケティのほうはあらかじめ訳者の山形さんの紹介を

読んでいたから気軽によみはじめたし

万物のほうは「欧州からきた移民植民者とアメリカ・インディアン知識人との

対話」からはじまるなんてそれはまさに「ヴィンランド・サガ」ではないか!

とひとりで興奮している

 

それこそピケティのほうだって

格差は必然じゃないしあくまでイデオロギーは人間のつくった

理屈であって人間社会はそれが唯一の道としてそうなったわけではない

と強調しているし

グレーバーのほうだってさかんにホッブス・ルソーの言説が必然であったわけではなく何も証明していないと強調しているのだる

これは共通点があるとしか思えないではないか

 

そういう語り口(ナラティブ)

をみて読んでいるとオレはとても勇気づけられるし

書くほうもいろんな方向にひろがるべきだと思えてくるのだる

 

たのしいね

それは

とても

 

まあそういう日々ってことさ

ここまではね

これからですよこれから

いつもそう思う