そうでーす
まああれだね
じじいを注意するのはむつかしいね・・・
図書館で話しはまあいいとしても雑談会話それ外で
やれよっていう
じじいには謙虚の二文字がないのだ
村上龍の初期短編で娘が
リコンで親爺のほうになぜかついてきて
父にはケンキョさがない
と言う話があってね
あの短編集はなぜかすごく沢山記憶にのこっていて表題作の
娼婦がNYシティマラソンするやつはどうでもいいんだが
おまえにはサノウがないのテニス男とか
高橋慶彦連続試合安打の話とか(いまもなお日本一)
なんだかねえ
そういうもんだって思うわけよ小説というのは
ある世界をつくるまるごとつくるみたいな
どんなに短編でも
そうさのう
まあ昼飯をくうよ