11月23日(木・祝) きのうのつづき(「常識を疑う」)

きのう の寝る前の思い付き「常識を疑う」

このあたりがオレがこだわるべきところだと

だと思うのね

それをうまく言語化できないんですがあえてその精神を

ここに標語にしてみようとするならば

 

50代男性が独身で貧困だったとして

もう「人間として終わり」だと思ったらそれは

それは思いこみとして偏見(’先入見)でそう思ってる(思わされてる)

だけのことであると看破する

・人間の人間性は男性で高齢で独身で貧困(経済)であることによって

測るものではない

・人間の人間性はそこじゃないところに真の決算の因子があります

なんだと思いますか???

 

こういうことかなあ

 

いわば

「表面的で浅い軽々しい考え」では

人間はそのように外見のそれ「経済・容姿・年齢」で測られてしまいますね

あるいは「性格がいい」「優しい」「セックスが強くさらにテクニックで女性の快感を強く高く長くエクスタシーにもっていくことができる」ような

このような現世利益が人間の「価値」を測る材料にされてしまいますね

 

そうではなくて

・例として

「人間の一人として自分との間に主体=思考の了解がとれている」

「自分と和解している」

「自分の望むところと快適性を理解しており

さらに

その様子を維持したまま他者との間でも他人の快適との調和をとることができる」

・こういう例だとすると人間の価値とは自己との和解と他者との和解である

そうですね

 

それって「自分と仲良く他人と仲良く」ってこと???

そうかもしれないねえ~~

それもひとつの常識じゃんねえ~~

そうですよ

べつに普通のことを言っているだけです

ただし

そうでありさえすれば経済がどうでもいいと言っている(とすれば

それはFanaticってことになりますけど)

過激派

貧困はどうでもいいんですよ!無視!顔も年齢も!

そのあたりにちょっとだけ「それでいいのか」と思うところもある

なんだろうこの胸のちょっとした違和感

 

むかし業田先生の愛のマンガで

「愛は実在しないにせっぱちだ」と大声で叫んだときの

自分の胸の中のチクっとする部分

それが愛だ

というんですよ

いい表現だなあと思いましてね

パクりたいがパクるのはだめですね