映画「哀れなるものたち」について

宇多丸評をきくまえにオレの感想だよ

なにも分析とかしたくない

オレはみたままびっくりしたりすごい好きになったりしたよ!

 

最初にエンドロール

ロールしてない

一枚絵の

なにかのアップが連続する画

動画だから止め絵ではないことがわかるし音楽も止まっていない

音楽は環境音みたいな音楽だが

とてもしずかで

ノイズかと思うとノイズでもない

でも生きている

生きているものは音をたてる

そういう音だった

とにかく画のきれいさ色彩アップになってみえる構造

時間の経過

壁の塗装の上に

穴から排出物(白い壁に茶色のシミ)がそこから空気とともに

長年出ていたんだねとわかる色

だから穴から下へとたれさがるその茶色

それをアップで動画でとりつづけているもの

青いもの

アースカラーのもの 原始生物のような曲線

なんかもう

 

映画そのものは寓話のようにはじまり寓話のようにおわる(エンディング

シーンを書くとネタバレになるしこれはかかないほうがいい)

 

でも世界全体をしめすための映画で

もちろん悲惨や貧困があることはわかっているが

それの構造に立ち入るわけではない

あるというだけのことだ

あるからこそそこにはベラをうごかす動機があって行動がある

それはちゃんとお話しをうごかす動機になっている

 

これはベラの物語でベラが「つくられた」人間で

歪んだレンズ(魚眼?)から見える世界

としてときに歪んでいないレンズでもみえる

 

ベラはうまれて育っていくが脳が

発達しきった経産婦の女性の身体にみあっていない

 

ベラはそのときの選択をとる

 

ベラは「誘惑者」強い男性を自認する男の誘いにのり

外の世界にでる(リスボン

そして

外から外をうごく(船)

 

オレが好きなのはこの船のあたりとそのあとのパリだなあ

 

ベラは船で女性(老女)とその連れ(ととのった顔の男性)と

出会う

ベラに外の世界の悲惨(貧困と奴隷的扱いと殺人)を見せたのは

このととのった顔の男性だ

 

ベラは船でさんざん読書をして世界にあったそれまでの知識哲学文学を

研究する

知る

知りたいから

 

嫉妬の男(誘惑者)が本を海に投げ捨てるシーンが象徴的だね

 

貧民へと金を渡す(実際には船員がちょろまかす)と金がなくなり

ベラと誘惑者の男はパリへと流れつく

ベラは娼婦になり

ここの娼館のシーンはあらゆる(西洋の白人男性の)

娼館におけるセックスがあるわけですが

いかにも白人男性たちがベラに狂っている(ほしくてしょうがない)

様子のカタログがとてもよい

おかしくてよい

おかしすぎる

息子二人をつれてきて性教育だといってベラとのセックスをみせるが

なかなかいかない男とかね

 

ベラをつくったゴッドが死にそうだということで

ベラは家にかえってくる

そして婚約者と本当の結婚を

しようと

 

するとそこに誘惑者(嫉妬する男)が

ベラの元の肉体だったときの夫をつれてくる

 

ここからは書かなくていいけど

最終シーンまでそれでいくから

 

ベラは

どんどん「知る」ことと「行動する」ことで

他人のことを知るし他人はどうしているのかを直接の言葉で

他人にといかける

 

船の老女は直接の言葉にも直接こたえてくれたし

娼館の女主人も直接その仕組みを言葉で教えてくれた

 

だいたい女が女にむかって世界のことわりをあらわす話

といえるが

 

男は「ととのった顔の男」はあきらめているし

「誘惑者」はただの嫉妬する男で

「元の夫」はくるっているし

「婚約者」はおびえている

ゴッドは死ぬがゴッドは覚悟があったけど自分のきまり(ベラに感情を

もたないようにする)が護れなかった

 

とにかくエマ・ストーンである

 

肉体を全て使うそして映画で世界全体を描く

ことができるのはヨルゴス・ランティモスだからということではなかろうか

描写は徹底的に

お話しは最後までお話しのドライブがうねりつづけておわる怒涛の

しかし世界は構造的に終わらないのでこれはただのそこまでの時間は

こうでしたという映画

 

世界のほうが映画よりもひろいのである

 

それがよくわかる

 

色のきれいさ・・・

 

船の

ゆく

 

海の上にある空の色がもちろんCGですがこれを選んだという色の色が

映画ってこういうのだよなと

そう思うしかない夢

 

いちばんはじめに性器を刺激する快感が肉体にあらわれたとき

マスターベーションのはじまり

演技するエマ・ストーンは最高だったね