映画「ウーマン・トーキング」について

正直すごくきつい映画で感想書くのもきついので

当日であるいまのうちに書けるだけ断片を

 

・2010年という設定

アメリカ大陸?(のわりには南十字星がみえることになっているから

緯度が低いはず・・)

・いわゆる文明とかネットとか家電とかを拒否してくらしている一族共同体

のようだ

キリスト教のような宗教のようだ

・女たちは牛の鎮静剤で眠らされてる間にレイプされそれで子供

できたりあるいはショックで自殺したりしている

・長いこと権力は男だけにあった

・霊のしわざか女特有の誇大したイマジネーションとされてきた

・しかし犯人をつかまえた

・一旦警察にひきわたした

・犯人は仲間の同罪のやつの名前も言った

・しかし保釈されそうだ

・このままでいいのかよくないのか女たちは話し合う

 

という映画である

 

・はなしあったときの選択肢がなにもしない・残って闘う・逃げ出す出ていく

 

の3つの選択肢である

 

だいたい女たちは諦めているのかと思ったら怒り全身のものもいる

 

古い女たちもまた「現実のその様子を諦めて認めていたのでなにもしなかった」

ことを

 

ネタバレ全開であるが書くしかない

古い女たちもまたそのこと(なにもしてこなかったこと)を

罪であると思っているのである

そのように言明し謝罪する

 

そして

 

という映画だが特徴がある

・成人男性(加害者たち)は登場せず

かつてこの共同体から追放された家族の息子だった男で

大学を出て教師になった男

だけが唯一の成人男性の登場人物として登場して話し合いの書記となる

 

・話しあいはあらゆる点について話しが展開するがその中で男たちを許す

のか認めるのか許さないのか

赦さないということは共同体を出ていくということであればそれは天国には行けないということになるという宗教思想も出てくる

 

・宗教じゃまである

 

・神が全能であればこのようなおそろしいことをゆるすはずはないのだが

 

・皆でここを出ていくということとなると一体ではこどもたちはどうするのか

男児はどうするのか男児は何歳から有害で加害の男性になるのかどうなのか

それを唯一の成人男性が回答する13~14歳の男児はもう有害であると

 

・それはエロに目覚める男児の本人であるところのオレもよくわかる

 

・のだがそうなるともう男児であるがゆえにすべて許されざる存在であるということになる

 

・書記の男もたまったものではない

 

・この話しはSFである

・現実として考えるとあまりに成人男性が登場しないことがおかしいという点はある

・あんなに大群の列をなして共同体を出ていくのに誰も止めにこない

 

という点はあるにしても

 

思考実験としてこのような形を示されると男性はすべて加害者であると

いう言説もまたそれなりのそのとおりということになり

弁明もなにもできないので

男性そのものが沈黙するしかないのである

 

有害な男性性はここまできてついに男性として生まれることとそこで権力を行使することが直結してすべてが例外ない加害者であるということになった

 

男性が救われることがもしあるとすればそれは権力を行使することをやめることだけであろうと思われる

 

そこで「女性もまた権力行使しないように・・・」とか言っても火に油なのである

 

とにかく男性がまず第一に沈黙し権力行使をしないことが大前提なので

 

それしか今はいえないのだが

 

こういうものこそウォッチメン宇多丸氏がいったいなんと言うのか

というところ

映画として

 

映画としてというが小説としての『侍女の物語』もあるのであって

あれだって権力を一方的に行使され女性がすべてが被害者となっている

(セックスを強制される女性もそうでない女性もすべて)

という小説世界であるが実際にそれは現実世界のうつしえであるといえばそうであり

 

そうである

 

そういうものがもっとあふれてもtttttttttttttttttっと

あふれていってこれ以上はあふれさせられないところまでいかないと

有害な男性が死に絶えないのかもしれぬ

 

女性がどのようであったとしても全ての条件下で有害な男性を全員絶滅させるところまでいかないと話しが終わらないというか終わることなどあるのだろうか?いやない

 

ない

 

ないという結論しか出てこないのである