そういう世界

他人にわかってもらいたいかどうかもあるだろうし

 

こういうのをつくりたい(創作)というつくり手の事情もあるだろうし

 

売れる売れないを考えなくてはいけないのもあるだろうし

 

客の顔など見たくないのもあるだろうし

 

いろいろまぜているが

 

なんかいまたまたまだけどNHKFMミュージックラインで

なんばしほさんの声の案内で

宇多田ヒカルの「ドラマの主題歌」と

あいみょんの何かの歌(タイアップないわけないだろうと思うけど)

を聴いてて

なんか宇多田さんのやつがオレの脳にちっとも入ってこなくて

あいみょんのは入ってきやすいなあと思うのであったが

これは本当にそうなのかわからないがオレのほうに偏見フィルター

目詰まりしすぎているからかもしれないし

あいみょんの曲がとてもシンプルなわかりやすいコードだけで構成されている

のに対して宇多田さんのほうはちょっともわからないように操作されているかんじ

コードとか和音とかもわからないしなにか「わからないことだけを上澄み出して

きた上撰の酒」(高い)みたいな感じがすんのねイメージ

あいみょんは誰にでも味がわかる大衆の酒(しかしそれをワンカップとか言うと

またちがうし~~)

みたいな

 

こういう「イメージ」が脳内にわくのはオレのほうの責任で

宇多田さんがつかいきれない資産と夫を変えていくライフとアセクシュアル

息子のことしか愛してないみたいなこっちからオレのほうから勝手におしつけてる

イメージがそこにある

あるって何だいって話でそれは妄言の妄想で真実かどうかもしれない

わからないことばかりでそんなゴミ情報知りたくなかったのほうで

 

あいみょんのほうがイメージとしては「日本のドメスティックな

純化された歌う女子が20代で普通に恋愛とかしてるし

ハイファッションを好むわけではないジーンズ中心の」みたいな

イメージを勝手につくりあげてそこに出してくる看板が「庶民的」とかいって

アホか

という話でそんないろいろな「庶民にもわかる尺度」なんて

あったとしてもそれはファンがその真偽を知るすべなどなにもないのに

なんでそんなイメージを勝手に作り出しているんだって話で

 

何がいいたいかというと「音楽そのものを味わう」ことがすんごく

難しいなって思って

たまにそういうことができることはあるんだけど

Spotifyとかのレコメンドで出てくるオレがなにも事前情報しらない

ような音楽ね

 

とてもいい

 

しかしYOASOBIみたいな情報がつくりこまれ固く高くそびえたつ情報

たちが伽藍となっているような曲だってオレをいまも車でそれきいて泣いて

しまうようなそれはお話と曲とアニメが一体化したなにかの構造体

なんだけどさ

それこそ赤坂アカ先生’(原作者)とか歌い手と作曲者とか

あのへんが豪奢な資金を保有するに至っていることは想像は

つくんだけど数字として具体的な想像ができないので生活のリアルの想像も

またできないわけよ

創作で「生活」を描くとしたらどういうふうになると思うわけ?

 

ラジオはひきつづきなんばしほさんとゲスト・上坂すみれさんが

猫の話をしている

猫話は平和でいいね

といいたいところであるが

豪奢な生活ともいえる

猫をかまうことのできる余裕があり資金がありスペースがあり

温暖な家があるということそしてそれを管理する

人間が自分以外にもいるということだと思われる

 

ぜんぶオレの妄想です

 

それこそ宇多田さんとか息子を守るのがすごい大変だろうなとかね

そういう苦労とか大変さとかなぜこんなおもいをしなくてはいけないのかとか

金と名声が起こす「ワルイこと」であって

村上春樹がちょっと書いてたけど

世の中全部がぼくの悪口を言っている

 

みたいな

 

SNS世界はまさにゴミ情報としてのわるぐちしかない世界だし~

 

なんで世間の片隅におけるオレなどがこういうことを考えないといけないのか

そういう世界を描きたいのか

かきたいねえ~~