なぜどんなにコドモ愛とか家族とか興味ない的な雰囲気ある女性でも大方ほぼ99%の人が母親であることと「こどもへの興味関心が生活の大半を占めるに至ってそれがいいわるい好き嫌いであるとにかかわらずSNS全部とブログ日記全部の内容がコドモのことだけになる」現象
それを対比としてどうしても男性がそのコドモが生まれたときにうまれた存在としてのコドモをもちろん愛していて好きでいとおしいのは事実としても実際にSNSやブログや日記をかくときにコドモのことが一旦どっかにおいておいて仕事のこととか社会の気になることとかをそこに書く現象
もちろんオレの偏見アイでみたこの世界のことを描いているよ
なんか女性のコドモ育て中のやつらはいついかなるときでもコドモのことが頭にあってそれが離れなくてずっと社会をみるにしてもコドモのいる家族を主体主主人公実存中心として得た認識がありそれ以外の認識スタイルをもつことがすごく難しいのが女性子育て(長いときにはそれは18年くらいずっとつづく)
(あるいは永遠にそのまま)
なのではないか
認識の切り替えもできないなんて人格としてくるっている!!!
とオレは時にそう思うのだが
(追記 これはついったでGさんが「わたし(女性)はあなた(友人の女性)のことあなたの考えあなたのことを知りたいのにSNSにコドモのことしかなくてあなたの中身はコドモオンリーの充填だけになってしまったの??!」って嘆いてたからさ・・・)
所詮オレだってオレという牢屋のとらわれ人であることは間違いないのだが
牢屋の中でも社会全体のことをオレとはいったん切り離されたものとして考える
ことはあるよ
子育てとくに生まれて直後から数年のかたときも目がはなせない状態の
ときの女性(なぜ女性だけ?>?)がコドモのことをつねに認識の中心に
おいておいてそれ以外のフェーズをもつだなんてとんでもない!!!!!
というのは生存のための戦略としては間違っていないのはたしかで
そうしたほうがいいにはきまっているコドモを生存成長させるためにはね
かたとき目をはなしたら変質者が連れ去ったとか車が轢いたとか
おぞましい老人が暴走車を走らせたとか
犬が噛んだかみころしたとか
いくらでもこわい話はある
しかしその上で女性が「なぜ女性だけが半ば自動的にそうなってしまうのか」
に疑問を持つ女性とか母親になって後悔したという女性も当然いるわけで
いる
ということがオレをすこし安心させる(もしだれもいないならばこの世界は
完全にくるっていてオレの思った疑問こそが非人間のあかしになってしまうから)
まあとにかくわからんことばかりだ