3月8日(金)

もちろん「類型」とか「こっちかあっちか」みたいな単純化

はできないのであるということ

ネット右翼を分析するときも角度いろいろあると

知る必要もあり その点で鈴木さんはえらいねちゃんと視点

角度多方面収集してるこれぞ参考文献研究

 

その上でっていうはなし

 

さて

 

オレは「他者(近くでも遠くでも)」についての認識のありかたで

人間を区分して考えられないものかと考えているのであって

 

「他者に共感・同情・シンパシー・エンパシー・応援」するのと

「他者のことは一切考えない」のと

「他者のことを考えることはあるが自分の大きい一部としての他者しか受け入れない」のと

あるんじゃないかとパターンを考えていて

3つめが「肥大した自我」であってちゃんとした自他の区別はついていない

と思っている

1つめと2つめは対照的にするためにわざと極端にしているなあ

まあいいんだけど

 

貧困ではない当事者が貧困について「対策」を考えるとかいうときに

・考えることが必要である理由

・考えないといけないの?

・考えたくないなあ

などを先に考えるやつは「それは他者がオレのように努力しなかったから貧困という

結果になっているんだろ?」とか考えるのか

「それは運不運の結果であって人間がなにか調整してどうにかなるもんじゃないよ」

と考えるのか

「それを考えるというのはあれか?平等主義か?社会主義か?」と考えるのか

「オレだけがオレの財産をあげてもいいけどそれだけじゃあ全体の貧困は解消しないもんなあ」なのか

色々出してみたがもっと出せるはず

このようなくるった思考はいくらでもある

 

では「くるっていないマトモな」対策は

あるのか?

(もしあれば 現在の貧困問題はもうすでにそれによって解消しているの

ではないですか?)

 

もちろん解消も解決もしていない

 

貧困問題も戦争問題も解決も解消も改善もしていない