『虚構の家』ドカタとか

大野先生がForbesでの連載でバービーについて取り上げて

いらっしゃる中での表現

引用


現代社会では、人々は「生産する主体」以前に「消費する主体」に位置付けられる。少女たちも”多様”なバービーを消費し、”多様”な夢を見せられる。しかしそもそも、大統領や医師や売れっ子作家から道路工事の作業員まであらゆる職業のバービーをつくったところで、実際には誰が道路工事の作業員として「輝ける」と積極的に思うだろうか。”

引用おわり

 

出典

https://forbesjapan.com/articles/detail/69539/page5

 

 

この論の論旨に基本賛成であるオレはまったくその通りと思う

ものの

その表現として「道路工事」がどうしても気になったのである

 

もちろんこれは大野先生の論旨とはまた別の「世間における道路工事の

扱われかた」についての意見である

 

たしかに世間の多数の人間にとって「道路工事は輝ける場ではない」と

おっしゃるだろう・・・・・

 

だろう・・・・

 

なぜ道路工事がそうであると言わなくてはならないのか

 

賤しい職だからですか

いや

建前上そのようなことを言ってはいけないことになっている

 

しかし・・・・

輝けるって

それ

なに????

 

と思うのであるそれがオレの疑問だ

 

じゃあたとえば限られた人間しかなることのできないモデル業は

輝いているの?俳優業?トレーダー業_?

 

輝いていると世間人間が多数決でそう思う職と思わない職があって

あるんだけど

そのことと「職自体の価値」はまるで関係がないのである

 

職自体に「収入」「職での危険度」「肉体のつかれる度」「精神の疲れる度」「世間からの風あたりがきつい度」「権力の甘さに汚染される度」などのさまざまな尺度があるわけです

 

昔は動物の皮なめしとか便所の排泄物運搬業などが

卑しい仕事とされ人間以下のやつらがやる仕事だとされていた

しかし実際にはカネはもうかるのである

別にそれをしたからといってなにか魂なるものが汚れるわけでもない

 

でも動物を実際に「殺す」のはこころがいたむよね

機械にやらせてもなお

 

殺人である「絞首刑」のボタン押すのはこころがいたむよね

だから複数個つくってあるんだって

 

介護の仕事は「にげらんない」からこころが死にそうだよね

だから介護保険がつくられた

でもたいしてかわらない

 

道路工事が輝いていないと「思う」のは人間のこころがそう思うのであって

すべての人間が同じようにそう思うのではない

 

ただその中に人の金をピンハネする中間業者とか

謎の暴力親方とか

いろんな人がいて

はんざいしゃが他では働けないがここでは働けるといってやってきたり

(潜伏)

いろいろなことが起こるのが建築土木の世界である

しらんけど

 

なんかねえ

オレはいつも曽野綾子『虚構の家』を思いだすんだよ

いいお宅の女子高生がドカタの男と実質結婚生活して妊娠して子供産むって

いうんだよ

その母は「やめろ!」と言うのだが

じゃあドカタの何がどういけないのか論理としては

成立させらんないんだよね

まあそのセックスシーンの描き方が曽野先生はたいへんうまくて

「物のように扱い」みたいな感じで

すごいシャープな描写ですわよ

またよみたいなあ

 

まああれが家にあったのは当時のベストセラーだったからだよね