フリードリヒ・ハイラー『祈り』

『祈り』を読んでいると

 

神秘主義的宗教と預言者的宗教の違いがある

 

神秘主義

いわゆる「エクスタシー的啓示を受けてはじまる宗教」たとえば

ゾロアスター

 

預言者がいて生への意思が横溢している宗教は違いがある

とのことである(預言者とはたとえばナザレのイエスとその弟子たちとか)

 

神秘主義において

エクスタシー(法悦)は神とか天からの啓示を

(荒れ野の放浪のすえに)ついに受けた!というもので

なんというか自己の中にすべてが生じている!

というもうフツーじゃない感覚のことらしいぞ

 

それにたいして預言者とその弟子ってなんなんだ

というね

パウロが代表例らしい

神の国をこの地上に実現する」のだそうだ

つまり行動しろそして自らを戒めろみたいな

他者にもはたらきかけて集団でやっていこうみたいなかんじ

 

簡単すぎる整理だがそういうことなんだといわれるとイメージ的理解が

わかりやすい

 

ムハンマドがアラーを

ゾロアスターアフラ・マズダ

体感’)(まさに体のすべてでそれを感じた)

のはそういうアレ 神秘 としかいいようがない