『祈り』を読んでいると
いわゆる「エクスタシー的啓示を受けてはじまる宗教」たとえば
と
預言者がいて生への意思が横溢している宗教は違いがある
とのことである(預言者とはたとえばナザレのイエスとその弟子たちとか)
神秘主義において
エクスタシー(法悦)は神とか天からの啓示を
(荒れ野の放浪のすえに)ついに受けた!というもので
なんというか自己の中にすべてが生じている!
というもうフツーじゃない感覚のことらしいぞ
それにたいして預言者とその弟子ってなんなんだ
というね
パウロが代表例らしい
「神の国をこの地上に実現する」のだそうだ
つまり行動しろそして自らを戒めろみたいな
他者にもはたらきかけて集団でやっていこうみたいなかんじ
簡単すぎる整理だがそういうことなんだといわれるとイメージ的理解が
わかりやすい
ムハンマドがアラーを
体感’)(まさに体のすべてでそれを感じた)
のはそういうアレ 神秘 としかいいようがない