フィクション(の効用とか)2

じゃあさ

 

フィクションがない場面で他人のセックスとか

想像するのは無味乾燥か?味気ないか?つまんない?

 

まあ他人のセックスじゃなくてもその他他人の運命とか

苦しみとかなんでもそうなんだけど

 

いやさそれはフィクションがもし無かったら無味乾燥

どころかオレの世界なんてすごく狭くて単純すぎる世界だから

たにんなんて出会う人数なんにんだと思ってるんだという世界で

 

フィクションがあったからこそオレは脳の中に妄想をたんまり

育てることができるしできたしできてきたんだよ

 

ここではフィクションはAVのみならず写真投稿雑誌とか

新聞とかドキュメンタリーノベルとか実話投稿文庫とか

なんでも含む(’エロ方面ばっかじゃねえか)

 

新聞がフィクションかどうかってギロンがあるとはおもいますが

あれは確実にフィクションですよ

だってオレがそれを見たわけじゃないし新聞が真実そのものを

書くことも伝えることも不可能です

そうです

 

だから記事は記者が主観で書いているので一面の真実しか

そこには投影されない

 

オレが現実リアルの世界で出会った人のその姿は

「オレの前にあるその姿や言動」であって

他人つまり第三者の前ではさらにちがう姿であることは想像に難くない

のでこれもまたあるいみではフィクションです

 

ちょっと拡張しすぎ?

 

ともかくなにもないところからエロ妄想を組み立てるのって

すごく大変なんですからオレ(とかあらゆる男性はエロ妄想のためだけに)

はAVだけではなくあらゆるメディアアクセス可能なものを総動員して

他人のセックスについて調べそして手記をよみマンガをよみ

他人の妄想するさらに他人のセックスについても熟読し吟味して

はたしてどのような他人の夫婦がどうやって・・・と

長くおもいをめぐらした末に

 

なぜそんなにも懸命でしかも精緻な感性をめざすのやら

当然理由はわかっている

それをしたい(強く)からだ

それ以外の理由なんかねえし