パルシネマしんこうえんにて鑑賞
この作品が管野よう子さんのアニメ音楽デビュー作だったんですね!
もうこれみるまえに音楽だけさんざん聴きまくっているので
なつかしささえあるのであった
マクロスシリーズの正統続編というが
お話しは
「男性性が過剰で女性はいつも男のことをなんかこう
助けられてありがとう的な感じ」ばっかりであって
そういうの見ているとあたまおかしいなあこいつらと今のオレは
みてしまうのである
(富野カントクがお話しをつくると女性が「独立」していることだけは
わかるので富野カントクのほうが時代から独立してる存在だったんだなあ
と思うのである)
あとキャラの造形が目の描き方とか肩パッド的な衣装とか
(あくまでイメージの話)
なんだか時代にくっつきすぎというかんじで全くいまみると
違和感だらけである
林原めぐみのルーシーが
サブキャラ扱いされて気の毒である(林原くらいの声になると
何をやっていてもすごく存在感が大きいのでお話しの中で
脇にいるとそれだけでなにか悪目立ちする感じになってしまう)
お話しとしては基本「わるいやつがいる」で
「なんかプログラムを暴走させる」で
そのわるいやつはなんか恍惚の中にあって自殺する(本人は
昇天のつもりっぽい描写)という
しょうもない「事件」であって
ヒーローがヒロインを最後に助けてそりゃよかったねであるが
それだけ?って感じになってしまうが
しょうがないそもそもそういう話だ
別に批判だけしたいわけではなく
中盤までのなんだかこう三角関係をひきずっているという
いい大人がぐじぐじしているシーン群は見ごたえ(マクロス的と
いう意味ではたとえばFでのなんか集団学生恋愛ちょっとからみからみもつれ
みたいなあたりの面白さ)
があるのでそういうアクション戦闘機コンバットじゃないところは
おもしろいといえばおもしろいのである
「ワルイやつ」なんて出さなければよかったのに
でもそうすると戦闘機コンバットする理由がなくなってしまうしねえ
オレはマクロスシリーズについては結局
ファーストをみるつもりがアメリカにいってしまったというタイミングの
悪さからなにかが大きく失われているのであるオレの中で
(あとからみなおすつもりもあまりなく
見直す時間があるならば富野カントクの諸作品をみなおす時間
ダンバインやダグラムとかファンタジーや暗さの源流について考えたい)
まあヒーローのことを好きになれない時点で
このアニメ映画はオレとは相性がわるかったということで
しょうがなかったのである
でも観てよかったですよ
ヒロインの造形と服の露出はきらいじゃない(マクロス
シリーズのヒロインはいつもなんか男性の性欲をかきたてるに
ふさわしい形をしていてそこは富野作品の女性性の硬質さとは
大ちがいである)
それがマクロスとかのあの周辺の方々の特質だったなあと思うのである
くだらないようだが
ああいうアニメをいまでもみてるようなオッサンとか
にしてみたらそういう女性性とか
チャム・ファウのようななにかかけがえのない大切な小さいもの
とかそういうものへの性欲は大事なポイントであって
じゃあ女性視聴者はどういうふうにみていたかって???
なぜそこを分けてしまったのか(・・・)