ふりつ。
もうガンガン。
 
 またゆで卵がくいたくなってきた。ときどき周期的に同じものを食いたくなる。
 しかし室内で鼻が寒い。つめたい。たいへんだ。
 
 もっとオレは有給をとるべきだ。
 
 日々考えてはいるのだが結論なんてもんが出ない問題があり、考えるのをやめて宇宙を漂うべきなのか、それともずっと考えつづけるべきなのか、それとも考えるのが間違いであって考えるよりも行動を、つまり考えなしの行動をすべきなのか、そうなのか。
 しかし真に、なにもかんがえずに行動なんてことができるものか。
 よく言われることであるが、何も考えないということをすることはできない。人間はつねに意識するとしないとにかかわらず頭の中でなにかを考えたり思ったりしているし、それをとめることもできない。それを意識するというのは形をとるということで言語化。描いたり書いたりしゃべったりしなくても、言語化しないかぎりそれを意識することは不可能。
 オレがどうしてもその考え(問題)にけりをつけたいと願っているときに、まずすべきことはその問題の精密化。精緻化。問題がわからない解決できない理由の9割は問題設定そのものにある。あいまいすぎる、困難すぎる、答えがシンプルにならない、複数の問題点をひとつの問題の中につめこみすぎ。そう。おそらくは詰め込みすぎ。ひとつひとつで解決すべき。どうしたいのか。リア充ってったって、そのスタイルはいろいろあろう。
 べつにリア充になりたいわけじゃない。
 
 わからないのは本当にたとえばいまどうしてこうしているかについて、こうしていることへの明確な意図があってこうなっているのか。それともただの流されて漂流した結果としてこうなっているのか。
 
 鼻がつめたい。
 通る空気がつめたいからだ。確実だ。