日本の あるいは米国の 社会を「よくする」

日本の政治について

Dec. 2018

 

上記のリンクは新山さんという方の日記から

新山さんの紹介は

euske.github.io

 

にあり

 

さて

この方の日記が過去の文をずっと保存リンク参照簡単にできる方式に

してあるのを見てああこれはいいなと思い

 

過去が積み重なっているといえば江端さんだってそうだ

www.kobore.net

 

さて話はそれたがもともとは政治について

オレも政治学科なるものを卒業してしまっているが

政治というのは人間が社会をつくりはじめてからきってもきれない

厄介なことで

しかし社会をよくする(生存を可能にする)のは政治以外ではありえない

 

問題はそれを行う「社会の構成員」が

「よくすることは可能だ」と考えるか

「よくすることは不可能だ」と考えるか

 

ここあたりは「信じる力」と「知る力」と「いまある情報について

真偽を問う考えや調査の方法があるかどうか」

「平等と公正と公平はそれぞれが違うのではないかということへの意識」

などなどの自分ごとの外にもひろがる「世界」についての

知ってもいいと思うこと知りたいと思うことなどなどが

必要なのではないか

 

意欲なくして人間は行動しない

 

アメリカ人一般が「素朴に社会がよくなることは可能だと信じている」

度合いは

確かにそれはあると思う

信じている

のがポイントであると思う believe

日本人は何も信じていないし自分の考えや信念などを

確固にすることや言語化することなどを嫌っているのではないかとさえ

思える

日本の政治がちっともよくならないのは均してみたときの日本人の

他人を信用して政治を任せるなどの

仕組みや制度の受け入れもわるいし

信じて任せるということがどういうことなのかちっともいつまでも

分かろうとしないことだと思う

PTAとか町内会とかの曖昧きわまりない組織を

ちっとも制御できないのが多分そういうことなんだと思う

 

江端さんが町内会の制度一般に激怒しているのもわかる

 

まるで

ネットの上で日記を公開してくれている人のことは友達のように

思える

幻想の友人