よるなのでビル・エヴァンズを聴く。
今日は走ろうと思っていたがそれはそれとして講演が入ったので聴きにいった。
そこで思ったことは「口腔ケアとリハビリは殆ど似ている」ことだった。つまり、「ケア」である。周辺領域である。そして「ケア」というのは「医療」そのものではないとされているがゆえに「医療としての収入にならない」のである。点数が無いのである。
でもそれは、じぶんでそれをできなくなった人にとっては、必要なことなのである。
もっとわかりやすく言う。このへん大事。
人間は自分で自分の世話している。セルフ・ケア、という。排泄、摂食、酸素のとりいれ、筋緊張のコントロール。
このあたりが、老年になったり、あるいはなんらかの疾病になると、できなくなる。
できなくなるというのは「自分でできなくなる」ことである。
だから他人によってそれを世話してもらう必要があるのである。
このことは大変重要なのであるが、多くの人がそれを知らないままであり、もっとも重要なこととしては医師とか名乗っているやつとかでこれを知らない奴が多すぎて困る。
専門家とゼネラリストと二つを同時にこなすことが難しいことは分かるが
制度の上で指令役とみなされている医師みたいなやつがこのことを知らないままで他人に指図されるのはイヤだみたいなわがままで無視をきめこむことが悲劇のはじまりである。
本当は「過失を犯す可能性」について敏感であるか否かなのだが。医師みたいなやつは過失についてあまりに鈍感でありすぎるのである。
悪口になっているので方向を転換する。
つまり、生きているために必要なことというのは存外にたくさんあるのである。
他人によってのケアを必要とするような事態になった人というのはちょうど、その「中間点」にいる人である。
若い奴はなんでも自分でできる。死んだ人はなにもできない。
その間にいる「老年者」というやつである。
老年は、徐々に、あるいは急激に、機能が衰えていく、進行形で衰えがすすむ。
口腔ケア、あるいは運動。これらが、「やる気がない」そして「やる力の継続力がない」ために、やらないですませてしまう。
結果として、口の中は悲惨な不潔状態、手足はコラーゲン繊維の固まるによる拘縮である。
うまくうごかない手足、口の中は乾いて汚くてくさい。
こういうことを「生命からみたら些細なこと」として斬り捨てているのが旧態依然な医師野郎なのである。いきていればいいって?そんなわけあるかい。
まあ医師を一方的に責めるわけにもいかない。
制度が実態の変化に追いつかないだけだ。
でも追いつかない度があまりにも高すぎるので現場は大混乱そしてパニックである。
まあこれくらいにしてみよう。整理しきれん。