まとまった。
つまり、点数化、数値化、可視化できない部分というのは、それそのものが「在宅」に属する部分だったのだよ。
いかに丁寧に、こころをこめてケアしているか。
丁寧に時間をかけてやれば発赤の兆候も発見できる。発赤は褥瘡の初期段階でのサインである。
いつも思うんだけど医師みたいなやつって患者に直接さわったりお話したりなでまわしたり体を見たりする時間が少なすぎるんだよ。それよりナースとかリハビリのがよっぽど毎日見てさわって関わってるっての。まあこれはグチだけど。
で、在宅に属する分野はことごとく医療点数になっていないので病院では重視されず、
これが「Hospitalization」の原因そのものである。
家ではなんとかかろうじてトイレできていたのに病院にちょっと入院したらできなくなってしまってオムツ生活がはじまった。
こういう例はあきらかにhospitalizationのせいである。
病院においては、トイレ動作ができなければオムツである。
いったんオムツをきせられたら終わりである(大げさにいっているようであるが)。
排泄のような基本的な事項であっても、自分でやることをやめてしまったら、そこで終わりである。もうあとは他人にぜんぶやってもらうしかない。もう気力もプライドもないのである。
これがおなじく手足の動きとか意志疎通とかすべてのことに言えるのである。
老年のかかえる問題とはすべての人間機能の低下である。
人間としての尊厳をたもったまま死んでいくというのは神業のようなものである。
みたいな。・
人間とかいってもしょせんただのどうぶつでありきのうとしてはいきてるあいだはいきてるけどそんげんとかべつにもともとないしただのいきてしんでくやつであるしたいしていきているいみとかないし、しんだところでぜんぜんなにもかわらないし、しなないでくれってなくようなやつはおかねがほしいだけのもんだし。
さっさとじんるいはめつぼうしましたっていえるようになるといいね。