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 さっき風呂にいってみたがそこでも「母親たちと子供たち」だけの集団をみた。まあ、そういうもんだ。気になるとそれを見るみつけてしまうというもの。
 
  そうか。Nexus7が届いたらオレはHuluを試しにみれるのだな。うれしわ。
 
 日本の構造はたしかに、変わらない、変わりたくないと思っている人が「変わりたい」人よりも多い場合には変わるためのことが見えなくて変わらないのかもしれない。たしかに首相とかは変わりたくないようだ。・いまどき「三丁目の夕陽」とかいってるんだからな。「今日より明日がいい(といいな)」と期待したり希望したりするのは、貧困からの脱出として桎梏や監禁や情報の不自由などの制約条件からの逃避、の場合だと思う。
 トルコの記事を読んだ。なんでも新興中間層が消費を拡大しているのだそうだ。そういう国は他にもけっこうあって、新興といえるかどうかしらないが、BRICSインドネシアベトナムもそうだ。若く、平均年齢が若く、これからもっと稼いでもっといろいろ買いたい楽しみたいという希望。
 そういうのは日本にはあてはまらない。
 
 「成長」はもう有り得ない、安定的で持続的な成長とかいってるのは無理とわかっていっているのだ。成長は無い上に政治的には常に危機だ。
 
 つくづくアメリカに負けた占領されたということがずっとひびいている。
 むかし赤坂真理さんの新書「モテたい理由」を読んだ。さいごのほうでなんだか唐突な印象でアメリカと日本の関係が出てきたことを、違和感をもって記憶していた。そしたら新刊「東京プリズン」が出た。
 はあ。なるほどそういうことだったのかとちょっと思った(書評をみて)。
 
 朝日新聞小熊英二さんが官邸囲むデモについて1ページ語っていた。
http://www.asahi.com/news/intro/TKY201207180794.html
 朝日新聞デジタルは会員登録が必要なようですね。
 
 ここでも小熊は「社会は変化している」ことについて語っている。上の方の「変わりたくない既得権益構造をもつ政治官僚財界と、そうではなくて困っていて変わりたいしエネルギーが勃興している下の層」があって、これは簡単にいうとたとえばフランス革命時のルイ16世が、騒ぐ庶民をほぼ無視していたのと、いまの野田首相が「金曜は飲みにも行けない」と言ったこととほとんど状況は同じである
みたいな。途中からオレによる概略になっていて小熊記事とは離れています。おことわりしておきます。
検索キーワード「野田首相 金曜 飲みに」
でやるとおもしろうてやがて悲しくなる。
 
 変わらないということは原発は震災前と同じようにやるということであり、ゴミを作り続けるということである。バカじゃねえの。
 
 オスプレイ問題でDigを聴いてたら「アメリカに対してものを言うことへの、遠慮ともいえない、一種恐怖のようなものを根本的に持っているのではないか」といういみあいの話があった。
 これがたぶん植えつけられたことさえ忘れてしまった「見えない」くびきである。