あさ3

昨日(2013 06/17)
のハートネットTVを見た。
 オレのツイート。
 
1.マツコ・デラックスのためにハートネットTVを見る。

2.マツコの両親は昭和ヒトケタ。戦中・戦後を生きてきた。モノをとにかく長く使う、新製品にとびつかない。「時空がうちだけ歪んでいた」。マツコは職業やセクシュアリティについて一回も両親に説明したことがない。両親も執拗にせまってくることは無かった。

3.しかし母としては複雑であろう。なにも言わない母、しかしぜんぶわかっているという母。というかマツコからみて「全部分かられている」という確信がある。

4.説明して理解してもらうことが重要ではなく、おそらくは「理解」も大変に難しいような「ゲイ」という立場、それよりは結果だけを伝えるような方法の方が、このさき10年後にはもう生きていないかもしれない両親にとってはいいのではないか。

5.マイノリティーとして生きるということを頭からまず体現しているということはまずない。ただ単に同性が好きなだけだ。私は女性になりたいわけではないですから。ということを繰り返していってもどこまでいっても他人(オヤジ)の理解は得られないし、また私もオヤジを理解することは有り得ない。と。

6.そりゃわかんないだろうな。と。しかし理解できないもの=恐怖=惡になりがち。そこまでいくと戦うしかない。しかしそこ以前のことについては、他人を攻撃するわけにはいかない。理解がなくても、でも、わかんなくても、とりあえず仲良くしましょ、理解しようとしてくれなくていいから。

7.だからこの番組が「マイノリティーとして生きる」というサブタイトルをつくるのは間違いかもしれない。マツコは別に自分がなにものであるかについては全くどんなカテゴライズされるかを気にしていない。ただ守る一線を決めているだけだ。なにかになりたい、こうなりたいと思ったことは一回もない。

8.孤独であることとは「メゾン・ド・いばら」に生きるということだ。マツコのファンならば知っているだろう。たとえば死に向き合う。誰かのために生きた、ということと、自分のためだけに生きた、ということは、生きた感が違うのだろうか?と考えた。

9.マツコの話が孤独と寂しさについて言及はいっていた。なにかどこまでいっても寂しさからは逃げきれない。自分は芸人ではなく女優でも俳優でもない。ではなにが売り物になるのか。いかにアタシの恥部も含めて晒し出すことができるかと思っていて、それ以外に売りものはなくて。

10.意地はれるところまではっていこう、と思って。と、加賀美アナに語る。

11.加賀美幸子アナが相手だというのがすごく大切なことだったろう。番組終了。