よる

今夜から明日朝までのタスク
・シャワー
・車の中の整理 給油
 
・にもつつくる
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あらそれだけだわ
 
あとは職場においてある
 
別の話題
 
一日の仕事を終えると肩と頚ととても重たさがのこるこれは肩凝りとは別のものである精神的負担が現象となったものである
 くるしみ。
 
 とはいえ。
 
 おいしいものがある。今日は海藻をもらったのでそれとあえるためにきゅうりもキムチも買ってきた(国産白菜)、そこにびんちょう鮪の身もあるしうちには醤油めんつゆ料理酒あわせられます
何がいいってきゅうりがいい、きゅうりは最高においしい、春になってそれまで高値のきゅうりが最近では多少やすくなってスーパーにならびはじめた気がしている、気のせいかもしれません、
 
 まだ生きていることが奇跡なような気もしている、いつも「偉い人とかたくさんの人があつまる研修会」にいくとエネルギーが満ち溢れているのでそれをもらってなんだかオレもまだやれる的な思いを持ってしまったりしているのだが、今回は1年後の退職も決まっているしそういう意味では
あとは悪事をこないだ白状したので叱責けん責もありうるしなあ、譴責。
 金曜。平日。早めにかえってきたので寺川さんをみられることだけがうれしい。
 
 それにしてもなあ。昼間の訪問先で語るその老女の「夫との50/50っぷり」が経済合理性に満ちていて素晴らしかった、金、食い物、それに見合う対価、世話、オムツ交換、うんぬん。
 食い物ないと死んでしまうし食い物は金かあるいはコネを通じてしか得られない。
 あとはあれですよ世の中ではあまり語られないが知的障害というものがある、現前、厳然としてあるのであるからしょうがないしそういう人は普通の仕事をしているようにみえてもなんだかんだドロップアウトしていくのである、しょうがない、しかしそいう人も生きているのであるからお金が必要なんだ。
 
 どこまでその生態「病態」があきらかになっているかってあきらかにはなっていないんだけども。
 
 それでもちゃんとした障害になれば障害年金が発生してお金が支給されるこれはとてもありがたい大きいものである家賃も払うことができるしね
 
 そういうこともわからない(つまりそれが知的障害ということ)人は自分から声をあげられないと制度からの救済も得られないということである誰からも発見されなければそこで朽ちるだけのことだ)