メモ 価値づけ(映画の)

なぜなのかについて考えているのだが

なぜというのは

 

なぜそのように方法をとることによって

「なにか素晴らしいものが今生まれて起きているーいた」という

瞬間が生じるのか

 

ということの中の

「素晴らしいもの(瞬間)」について考えているのだがそれは

「人生」(人が生きている)ということではないか

とくに真にそこでそのことが強く大きく輝くようなことが

そこで理解され伝わる様子ということなんだと思うのだが

 

また同じアドレスを貼るのだが

(2ページ目)なぜ無名女性たちの演技が国際的評価を得た? 『ハッピーアワー』監督が語る“傾聴”の演技論|Real Sound|リアルサウンド 映画部

 

まあ2ページ目だから同じではない

ここで

濱口監督が

カサベテスの「ハズバンズ」という映画をみて

「”これこそが人生なんだ”と思わせる作品」

と言っているのですが

 

他に多くの映画がある中で

そのその瞬間が映画の中にあったということになり

それは

その映画が万人にそれを感じさせるのではなくて

そのときのその瞬間の濱口氏がそこで

「人生」

感じてしまった(雷に打たれるように)

ということなんだと思うので

それは濱口監督にとっての受容価値ということになる

(製作者の意図や成功価値によらず

うけとった方が価値を感じること)

 

オレにとってそのような映画があるかなあと思って

いつも生涯ベスト

かなあと思うのは「The Breakfast Club」なのだが

オレがあの映画でこれぞ

というものを感じたのは

なにか

 

楽しいということはこういうことなのではないか?

映画からはじめてそれを感じたということによる

 

冒険ものでもスパイものでもなく

ただの

学校で

罰登校させられて

皆それぞれが問題や悩みを抱えていて

不満もありありで

しかし楽しそうだったんだすごくなにかこう

強いものがそこで生じているなあと感じたんだ

 

それはひょっとしたらどんな状況でも楽しいことは生まれうるという

ことかもしれないし

そう思えば楽観の姿勢が生まれるので生きていけるようになる

かもしれない

のだ

 

そのように映画は人間(見た人間 受容)に対して影響を

及ぼすのではないか

 

ありがたし

 

漫画だってそうだけど

 

批評の言葉でいうと

まずは映画のここが

オレにとっての価値なんだ

言いたくなったわけです

「批評の教室」の

実践です