憂い

まあでもね

今日は元同僚とスタバで喋っていて互いの近況を語るなど

それはもう

素晴らしいね

まるで

どこかのインスタでみたような展開じゃん

オレにもそんなのができるなんて・・・

元同僚には感謝しかない

そもそもオレは同僚というのが好きなんです

 

 

何の話になったかというとやはり

親(義両親)の世話とか介護とかの話にやはりなるわけで

だってオレたち50代だし

そうするとあっちの世代は70から80なわけじゃん

介護の必要はどこかにかならず出現するよね

死ぬまえに介護が必要な時代というのがくるよね

そしてこっちに世話をかけるよね

まあ

義がついてる場合にはそれはまあ嫁いだ人としてどう考えるかだけどさ

まあね

オレは今朝ハロワに向かって運転している中で

まあ

思ったことは

好きではないし嫌いだが

同居はぜったいしませんが

それでも死に水くらいはとってやると

思いまして

それはオレが生まれてから育つところで世話になったので

その分は世話をしないといかんねという意味で言っているのだが

これは決して応報のことではなく

互酬のことでもない

返さないと負債感を負うという心理の機制のことでもない

突然ここで両親が事故で死んだとしてもオレは負い目など

感じない

それはそれだけのことだ

こういうのを縁起でもないとも思わんばい

 

なんだっけ

そう

そういうのってほんとにけっこうつきまとうから

人間死ぬまで憂いなしでいられる時間なんてほとんどないんだな

って思ったのよ

 

誰しもが

 

まあね

 

オレが独身だからこその自由は確実にある

それは事実だ

その分が孤独とかいうけど

その分じゃないんだよ

そこが天秤にのっているとか思うほうがおかしい

因果なんてないんだよ

 

死んだら無になるし

無でよかったよ

無じゃなくて霊だとしたら

文句ある霊がオレ(霊)に対して生前いえなかった文句を霊になって

言いにくるわけじゃん

そんなんごめんだね

死んだら無になるから霊もいないんだよ

文句も言われません

確実です

本当に仏教はありがたい無でありがたいなむなむ

南無南無