映画「ウエスト・サイド・ストーリー」について

ミュージカル演劇をベースに映画化された作品をさらに再映画化である

その特質とは

 

宇多丸氏のムービー・ウォッチメンで語られた評によれば

 

改めてトニー・クシュナーによる脚色で

ひとりひとりのキャラクターに新たな色彩があたえられ

物語(ダンスと歌とストーリーを統合する)になっている

とのことと理解した

 

しかしもともとの舞台演劇版からの曲順変更や

最後のおわりかたの変化など

ミュージカル原作のファンからは文句もあるそうで

そこは重要なところではあるが

あくまでこれはスピルバーグのつくったWSSであり

それは監督のものだ

としかいえないのではないか

 

まあ

恋人が殺されその犯人の男を

「私は彼を愛してるの!」といいはなつ女

(恋人の妹)

にむけて

一体どういう顔をすればいいのというアニータは

もっとも苦しいと思いますが・・・

 

ミュージカルでは実際はアニータはトニーとも知り合いになりマリアとトニーの恋を応援するやくわりもあったんだってさアニータ

ふうむ

 

そして最終的にラストについていろいろあろうもん

マリアは殺されたトニーについてなにも

なにも解決はついていないが

それでも生きていくしかない

兄も恋人も死んだが

それからの人生

ものすごくスッパリ断ち切ったエンディングであると

思う

 

だからオレとしては一貫して

トニーとマリアの物語であると観るしかないし

そこにやられた(あまりにもヒトメボレの力が

強くて

つよすぎてもうやられた)

ということだ

だから愛情の物語としてカンペキなのである

 

まあでもロミジュリなので

余計なやつらがいろいろ情報を

あれこれして

チノが暴発しているのもどうかと思うが

それはそれ

 

とにかく女は強いし

 

ギャング団とかいってもいまの現代の目からみれば

ただの暴力集団で

でも当時の移民政策と差別の話からすれば

自衛のために仕方なかったんだ群れるしかない

そして暴力をつかうしかない

という

んだけどね

 

アメリカ」を唄い踊るプエルトリカンたち

女たちはアメリカ大好きといい

男たちはいつかプエルトリコに帰ろうといっている

歌詞

対立というほどではないが

女たちには現実の生活があり

男たちにはなにか夢想的な郷愁としての故郷がある

あるだけだけどね

 

トニーがマリアと出会うジム(体育館)のダンスのパーティーのあと

さまようトニーがいろんな窓からのぞく人たちが

皆違うんだけど

結局偶然にもマリアのいる窓をみつけて

非常階段を懸垂したりしてよじのぼり

キスして

愛の約束をかわし

明日の2時に!

と待ち合わせの約束をして

出掛けた先はうつくしい庭園とステンドグラスのある

(あれは何だろう?どこ?オリジナル映画では「ブライダルショップ」だそうですが)

場所で

そこでマリアからステンドグラスの前で誓いの言葉を

述べる

富めるときにも貧しきときも

トニーもつづく

そしてマリアはトニーにとにかく決闘をとめてと

願い

トニーはやってみるとかいうんだけど

 

そこが絶頂で

 

そっから先はもう決闘になり(以下略)

 

マリアの兄を殺してなおマリアのところに

たどりつくトニーであるが

そこで愛を肉体でかわしあい

そして

 

(マリアは死んだと嘘で言うのはアニータなのだがそれは別にトニーの自殺をもたらすわけではないのでそれはよかった)

 

とにかくトニーも一瞬夢のようなマリアとの(逃げた先の)新生活を夢みる話す浮かれてる場面があって

それはもちろん実現しないのですが

 

小室さん(音楽くわしい人)がアトロクで解説してくれるところによるともともとのミュージカル版にはトニーとマリアの愛の生活(実現していないが歌としてある)の場面があるんですって

 

それがちょっとだけでも映画の中にちらっとあらわれただけでもよかったと思う

 

とにかくマリア

マリアが女として最高で

たまらんやられた

と思うばかり

 

でした

一旦おわり