不寛容の問題

そう

 

それが

映画「カモンカモン」を見て思ったことであり

同時に

橋本治『ひろい世界のかたすみで』にあった

婦人公論での連載の最後の回にもあったことだ

 

橋本は書くのだがそれはその時評の連載のさいごの回は同性婚の話で

・2004年3月 「他人のあり方」

2004年である

SFの市長が(当時)同性婚をみとめたら

CAの知事であるシュワルツネッガーが反対を表明した

 

参考

https://ja.wordofwayne.com/wiki/San_Francisco_2004_same-sex_weddings

 

アメリカでさえも同性婚LGBT(QT+)の権利を擁護するまでの間に歴史と葛藤があるのである

 

 

橋本の主張であるが

 

・結婚なんて なぜするんだろう

・愛し合う二人の話だけならいいが それは契約なので別れるときは別れられるが しかしそこにコドモが生まれたら

コドモの親は生まれたときに決定しておりこれは契約ではなくて事実なのでどんなことがあっても離婚してもなんでもかんでも不変に変わらないものだ

アメリカには同性愛者が多いと聞くとともに 同時に アメリカで同性愛が嫌われることもものすごい強くてハリウッドで同性愛に対して異様に不寛容な

・サンフランシスコに同性愛者が多いのは裏をかえせばサンフランシスコでくらいしか安心して暮らせないということでもある

”同性愛への不寛容は、実のところ、自分たちとは違う「他人のあり方」に対する不寛容ではないのかなと思って、私にとっては、そっちの方がよっぽどの大問題なのだ。”

これが2004年の文章である

 

橋本は生涯結婚はしなかったし同性愛者であることを部分的に公言した(ヤングサンデーの連載で)こともあるが

 

それはそれとして(特になにか新しいことがそこから導きだされるわけではない)

 

不寛容は

倫理の問題で

他人のあり方に文句をつけることなど

本当はできないはずなんだ

そのために法というものをつくって

他人同士はいさかいを起こすに決まっているが

それでもなんとか社会をやっていくしかないのであるから

せめてこれだけはいかんということにして

あとは好みだろうと気に食わなかろうとも他人様のことは

黙っておれ

というのがこの社会をなんとかキープするための

キマリ

なのである

 

でもこの国はひどい国で

世間

とかいう謎の概念が

はびこる

政権政党である自民党がすすんで私権制限したくてしたくてしょうがない

ということを隠しもしないような国なのである

 

21世紀になってからだけでもたった22年で

社会も世界もかわっていくが

あまりいいほうには変わっていない