映画「クレマチスの窓辺」について

えっと
いま帰りの新幹線で「永い言い訳」(文庫)読み始めたのね

しょうもない男の話だろうって先入観で

でもそんなにしょうもないわけでもなかった

いやしょうもないのか
それは読んでみないとわかんないね
どっちにしろ冒頭のエクスタシーの直前でいつもやめる人はそんなんならオナニーだけしてればいいのにそうすれば直前でやめても自分だけのことだからさ

誰かそれをもう言ったりしてないの?

さて映画です

俳優って大変だよね
演出も

みなが互いに順番に発言するのは演劇の不自然さとして
テンポ
わるいねと思うし
その世界に乗っていけないと思うし
なんちゅうか書割の人物にみえて
その人物は生きてる人物じゃないんでしょう
とさえ思ってしまう

点景というか
切実さのない人生をみさせられても
なにもこっちに浮かんでくるものはない

かといってなにか波風があるとしても
それ
波風?

っていう
かんじの
特に何かが決定的に変化するわけではなく

これは悪口ではなくて
変化はしなくてもいいし
いいんだけど

なんというかあなたは誰 ?
って主人公に語りかけたくなってしまった

だからなんか
花屋のババア(おばあちゃんの知己)に対して
主人公がとつぜん堰を切ったように話すところ

あなたそういうこと思ってたの?
と言いたくなったし

考古学の先生と一緒に古墳へいくシーンは
流れが唐突だけどそれが必要だったことは
わかる

靴屋の男がクズだったのはいいとしても
いとこの男のフィアンセの女もクズだし
先生くらいはちゃんとした人間であって
ほしいじゃんね

そしたらちゃんとしてたので
ホッとしたわけだ観客として

しかし一時間程度の小さい作品でも
主人公になにかトリガーがほしい

実際何をしているのかエアコンを売っているのかエアコンを売るのは家電量販店なのかB to Bなのか
ジェンダーについてどう考えているのか
考えたうえで結婚とかいつかはねえみたいなあまりにもクズみたいなありきたりのはんこで捺したような思想しかねえのかよ

いやこれはオレの個人的な
悪罵だな
よくない

でも松江の水のたゆたう感じは
良かったですよ
人間たちはクズだけどね
花屋の出戻り娘だって
出戻りっていまどきいうのか
あんたもクズだよ言ってる内容がね
自転車のおとこ
あんたぜったいロングツーリングしてねえだろ
装備貧弱だし

文句はここまで


いつかまた思いだすかもしれないから