午後と夕と夜

日中は熱さのある日差しだったが空気が乾燥があり

(そのぶん関東甲信は早々とつゆいり

したみたいでお気の毒である)

いま室内で夜だが気温がクリア低めですずしい室内である

 

今日はがっこうが午後は予想外の実技となり

疲労した(立ってうごいたり腕の力をつかったりするので)

 

ので地元書店にいってみて確認やっぱり

フィーヤンはねえなあ

図書館で今日の新聞を読み

それから

一旦スタバにいき英気をやしなうことにして

ソイラテを注文し

しかし田舎ならではでスタバは大人気とくに高校生が殺到

オレの注文もいつくるんだかわかんねえ

一旦席にすわり

それからおもむろにタイミングを直感ではかると

はたしてオレのソイラテがあった

よかった

あとはスタバで消防のメモカードつくりをしていた

いつもの方式である(注・このB6のカードに要点を

まとめることで

・まとめるときに参考書を見直す

・手で書くときに記憶が発動

・カードなので何回も見直す

・余白に追加情報も書き入れる

という方式である

この京大式カードというものをおしえてくれたネットの人は

誰だったのかもうわすれたがサンキュー

別にこれノートでもいいだろというが

ノートは紙が分解されてないからダメなのである

 

スタバはとくに女子高生が多く

かのじょたちは制服が大好きみたいね

 

そしてなんかPC(ノートPC)とか

スタバでひらいて

友とならんですわって

なんかしているのである

宿題・_。?

かもね

そういう時代の子なのだ

 

さて英気がやしなわれたので車であっち(東のほう)にいき

ドライブ

書店にいき

やっとフィールヤング(7月号)を買う

ついでに店内をあるく

かいたいものは無数にあるが

まあ

脳内記憶だけだ

 

イーユン・リーの新刊が出ていた

『もう行かなくては』原題 MUST I GO

 

「優しさ」を先に読んでからと思っているが

 

ちくま新書の1655と1656が大変おもしろそうであるが

買うにも予算がねえ

ちなみにタイトルは

1655『ルネサンス 情報革命の時代』桑木野幸司

1656『臨床心理学小史』サトウタツ

である

もちろんちくまの新書であるから(信用してる)ちゃんとした著者が書いたちゃんとした本である

と思う

 

臨床心理学は新書で書くにあたり日本の臨床心理学の分が加えられているのが特徴とのこと(そのまえに大著の臨床心理学の歴史についての著作があるそうです)

ルネサンスの情報の革命というのはひろいいみでの文化革命の一端としての情報革命というジャンルらしい

目次を読んだがつまりは情報(遠い世界とか欧州の中でもいろんな離れた地域のこととか・・印刷革命とか・・・「皆がその話題をする」こととか・・・)のことらしいぞ

たのしそうだなあ

 

しかしそれにひきかえ臨床心理学のほうはなんとなく斜めの眼でみられているジャンルに思える

どうも

旗色がわるい

それは真正の「科学」といえるのか?みたいな

 

でも再現性の問題は質によると思うけどねえ

人間は機械じゃないし

だから多様性の幅が

恐ろしいもんで

再現性の原則はなじまないのではないか

とか思っちゃう

じゃあそういう世界ではどのようにして

「真正である」「おおかたこの結果は世界中の人間のありかたの中のある部分を正しく示している」とかの「正しい」ことを担保するのは一体何なのか

何によって正しさ(いいかげんでデタラメなことを言っているのではない)を示しているのか

と思うわけです

 

これはもちろん経済学のようないかにも科学にはなることができないちゃんについてオレが前々から思っていることなのだが

 

工学はその点で「実証」できるからいいよね

 

と思っている

 

どうかなあ

 

オレはいまはじめて理系学問==~いや学問じゃないないまやっているのは

=~=サイドから「理系の世界」をのぞき見している程度だなあ

 

それでもその理系学問の世界~||「電磁気学の法則」に基づいた世界の成り立ちはすごくしっかりしていてその真正性というか正しさに揺らぎがないのね

全然ない

 

オレはそれでいまの疑問は絶縁抵抗の測定って何をしているのかなあということで

接地抵抗の測定とあわせて

なんとか理解したいもんだと思っているのだが

 

 

まだまだわからんちんなのよ

わからんからこそとっかかりを探して

面白いんだけどね