比較の問題と自己効力感

 

 

 

昨日にくらべて今日はよかったのである(比較)

 

それはもちろん自己効力感があったからにほかならない

午前はペーパーで問題を解くのくりかえしであった

しかしそれはしょうもないがやらざるを得ないものであり

反復だけが記憶を補完するのである

すぐ忘れるしね

イラストとかの補強も必要かもしれぬ

 

午後はJW-CADだったが

ハッチング(ここでは「絵画や製図について行われる描画法の一種で、複数の平行線を書き込むことである。」)

について理解できたし操作もできたし

反転複写もできるようになった(そういう意味ではこのソフトは大変よくできている)

ただ操作が他のよくあるソフトの挙動とかなりちがっているだけのことだ

 

自己効力感(できんものができるようになった)あたらしいことを

それなりにできるというのは気持ちのいいものである

 

シンプル

 

まあそういう小さいことが詰まっているのが

日常というものではなかろうか

つまんないこともあるけれど

 

元首相が狙撃されてもなんでもどうあってもオレの日常は継続していくのである

正直そんなことにはかまっていられないし

治安どうこうの問題でもないのである

意図をもって実行することを決めた人間を止める手段は

実質的に

ない

のである

 

まあアメリカは妊娠中絶を違法にしてアトウッド『侍女の物語』的に管理していく社会へと突入していくであろうし

日本だってどんどん事前検閲事前身体検査事前の特高警察の尋問

になっていくのであろう

まあロシア帝国化とか中華帝国化というか

帝国にあたっては臣民はとくに基本的人権などはないのである

しょうもない話