午後

午後である

 

どうしようかなと思ったが

昼にラーメンつくってくって

 

車で長い橋の下にある日陰の駐車場いってそこで読書

をはじめたらちょっと眠くなって

うとうとして

そのあと目がさめてまた読んで

そのあと場所をかえて今度は市営の体育館の広い駐車場いって

また読書して

それから家に帰ってから歩いて南のスーパーにいき

白菜と豚コマと豆腐

を買って歩いてかえってきた

もちろん歩き歩数のためである普段から歩いているのであるそれが

普通だったほうが仕事の日もすっきりなのである

あとワークマンいって防水とか防薬物とか水たまりのことを考えて

靴をみていたがワークマンブランドは高くても3800なのね

 

すごいわああのクオリティで

 

それこそたぶんそれが正解のような気がしてきた

つまりトレラン用のミッドカットのやつ買ったりしても

それはアウトドア用であって

オレが必要なのは屋上のやけに深い水たまりとかにいっても

薬物まじりの水たまりでも

脚を足を濡れないで守ってくれる用途だけであるから

ワークマンのほうが正解なんだ

と今は思うね

近く買うであろう

 

さて読書は何をしていたかというと2冊読んでいた

講談社現代文庫『レトリック感覚』

新潮文庫『渡良瀬』

であるが

渡良瀬はかなりおわりのほうまでやってきた

やはりなんというか妻との不和はこれはたぶんなんというか妻のほうにもう修復しがたい傷があってその傷は永遠なのだと妻のほうが決めてかかっているがゆえに主人公が妻となかなおりしたいなあという希望は永遠にかなえられないだろうという小説である

しかし私小説なのかなんなのかは知らないが主人公の仕事のほうとか家の外での小料理居酒屋のおかみとか関係工場の女性のベテラン工員さんとかそういう世界の描かれかたが魅力がそこにいる人間たちがそれぞれみな魅力的なのだった

あと電気工事盤工事盤の作成細かい描写のそれである

オレがなまじ電気の学校なんかいったもんだからこまかい用語までおそらくは分かってしまうのである

圧着する油圧の機械(手動)とかね

全く珍しい体験をしたもんだ

 

さて『レトリック感覚』であるがラランドニシダの推薦本であったので買ったのだがその序文をよみはじめた

序文とおわりに

のはじめと終わりに書いてあることこそが最も重要だと

だれかが言っていたのだが・・・

誰だったか・・・

専門学校の学科長だったか・・・まあいいやとにかく

この『レトリック感覚』の序文1というのが

おどろくべき真実のことを書いていて

それはオレがずっとひっかかっているというか気にしているというか

もっともこの世で重要であると考えていることについてのことだったので

心底びっくりした

それは

 

「人間はおろかにも忘れてしまっているようだが言葉というものを

たとえば自分の気持ちを書くという作業がこころのままにおもったままをそのまま

書くことはそのまますればいいのでたやすくできると思い込んでいるがそれこそが

たいへんな思い違いである」

という話しである

 

そんなことが訓練もなく生まれつきできる人こそが天才であっていうなればそんな人間は

いない

 

という事実である

 

 

そのことは時々そこかしこで

(まさに あからさまに 事実として 皆がそのことを共有しているわけではない)

そこかしこでその重要な事実は啓かれるのである

それこそル=グウィンだって

そのことを書きしるし講演で述べているのである

 

そのくらい重要なことだ

 

やっぱりニシダはいいもんもってるなあ

 

そういう午後だった

 

積ん読の本も読んでいこう