昨日の休みが永遠の一日のようでなんか長かった感覚であるよ
そうでもないがそうでもある
主観的な時間感覚はばらばらだし
特に昨日は決断とか充実してたからね(フィルターもあらったし)
まあ今日は明日と2日間酷暑ってやつで熱だし烈だね
そうれす
食って寝るしかないあとフロ
フロがねえ
今日はまあいいとして明日はタイトだし
オレのK7はいつ入荷すんのかなあ
明日つくES10 は出荷されたってメールきたしなあ
とまれ
ともあれあとは
・不燃ごみ捨てプロジェクトつぎは6月4
・ラジカセを発掘する
・机配置の決定
まだまだいろいろ試行錯誤があるべえ配置については
それでも積ん読本が目の前にごろごろ床からタワーなりかけタケノコ
状態のはオレは実は好きで幸福感を感じるね
それらのタケノコはオレがぜんぶ選択して買ってきたもんだしね
昨日は『言葉の獣』1-2巻
をよみおわったが
どうもなにか絵で言語概念を探求する方法のすごく難しさ
というか理屈はじつは明晰じゃない(’絵物語だし)というところ
たとえば「誹謗中傷」の獣はむこうはこっち(東雲たち)を認識してできているのかどうか
もしできていないなら「向こうはしらないままこっちは向こうをみて知っている」という不均衡状態になるわけです
東雲の言う「向こうに知られているのは嫌だから消したい」というのと矛盾するわけよ相互の公正さが保たれなくなるからね
そういうところをわーわー言ってもはじまらないマンガなわけでさあ
いいんだよ
でも獣の世界でそれを描くのはつまりが現代現時間の学校の学生の具体性でもって語りたくなかった(=抽象化した形で中傷などを描きたい)ということかと仮説している
そういうのがSFの思考形態なのではないかと
すこし
ずらす
みたいな