プラグマティズムはたぶん名前が良くないんだよ
現実主義者でがりがりの利益優先みたいな言われかたしてしまうんじゃないの
しかしそうじゃないと思うんだよね
たぶんね
あきらかにパースのプラグマティズムはアブダクションそのものの論理構造だ
結果があるから行為の価値が決定される(その論理展開は後から考える)
みたいな・・・
オレの言い方はおおざっぱすぎるだろうか
その結果における利益のことを「効力」というらしいが
まあ「格率」っていうくらいで厳密な論理学の問題になっているわけで
”この格率は、論理学という規範学において規範的勧告あるいは統制的原理の役割を果たし、思考という行為がそれの目的を達成するように導く働きをし、「理解の明確さを獲得する」という最善の仕方でわれわれに勧告をする。”
いいかたがわかんねえ感じになっているが
要は「目的」を達成していることではじめて行為のなんたるかが確定し明確にそれが何であるかもわかる
ということであるたぶんそうだ
というのは「達成されなかった」場合には何を言ってるかどういう論文かいたか知らんが結局成り立っていないような議論や理論は意味も効果もないぜっていうことで
なにしろ哲学(論理)の目的は「明確に明晰さを獲得せよ」なにかを知るというのであればそれが何であるかを正しく理解したというところまでいけという言明である
オレも自分で何かいてるのかよくわかんなくなってきているかもしれんが
明確さ
明晰さ
はっきりとした定義
~は~ということだというような形式をもって
考えるにしても考えた結果が明らかにされそれが理解されうる形になっていることが
重要だってことなんじゃないのたぶん
そういう意味で意味を成している成功している結果を出しているの点が
プラグマティックであるということなんじゃないのかなあ
たぶんなあ
鶴見俊輔のほうとか読んでみないとなあと思っている
(ひょっとしてデューイのほうのプラグマティズムについてだけとかないだろうな)