物語シリーズでのそれぞれのキャラは
まるで
この世に生きている友のような気がする
オレがえんえんと
そのことを感じていられるのは
おそらくはアニメシリーズのおかげであり
小説だけならそれはそう思わなかったかもしれないのである
こうやってあらためて続終物語をみていると
どうして最初からひたぎが出てこなかったことを疑問に思わなかったのか
とか
おののきちゃんがじっさい問題いちばんあららぎ君のことスキだったのかなあとか
いろいろ思ってしまうね
あの
この「鏡のこっち側の世界」に居続けることにしてしまったらいいじゃんと
提案するおののきちゃんね
西尾維新作品の中では本当に例外的で
猫
におけるあららぎ君にふられちゃったと素直に泣く委員長くらいのレアだ
オレがアニメをすごく助けてもらっているのはそれこそ
円盤を買ってしまった古典部シリーズにおける人間たち
人間たちの生きている様子を
絵
で
動く絵でみたことでそれがもう脳から一生でていかないくらいのそれが
ある
あるということがあるわけで
本当に大人になってからみるアニメはどれも強いもので
強く脳を支配しる
支配
DOMINANT
さっきオレが焼いたDVDを整理していたら
多くの
マツコ有吉怒り新党夏目ちゃんのやつが出てきて
それこそ夏目ちゃんのように
人間
だけれども
もうテレビで見ることはないような方は
はじめから架空のアニメキャラ
だったのではないか
想像の中のものだったのではないか
と思う次第である
つまり現実と想像界はとくにそうした区切りや区界や境界は
つねにあいまいで
くっきりした境があると思うやつこそがそのあわいにとりこまれてしまう
のである
それこそ「金のおかねの価値」を妄信するようなやつは
おかねというフィクションにのみこまれてしまっているのである
まだ利益確定もしていないのに
帳簿の上で今日はこんなに増えた!などといって狂喜乱舞
しているような人間はまさにとりこまれているのだる
金がフィクションでなくてなにがフィクションだ
あんな紙や金属に高すぎ価値をみとめるなんてね
なんて愚かな