11月26日(日)

はー今日はイレギュラー 実家いくし

まあそういうこって

 

えっと

 

床屋いかんかったがまあいいでしょう

今日は

 

・音楽の泉(あるの?)あります

・昨夜のJOQRのランキング番組にゆかりん出てたみたいで(あれです

櫻井のなんとかでつぶれたこむちゃっとの後番組)

・資源ごみすてる(ペットがまた増えているからどんどんすてる)

・あぶらの瓶もすてる(汚れがとれないものはがれきあつかいです)

 

・実家にいくまえに駅前集合

 

以上です

オレは千穐楽をどこでみれるのだろうか

みれるといいけどね

まあどっちでも

 

なんというか11月も末期であり

Yさんの月間FAXつうしんも昨日ゲットした(20円)

なんといいますか小説が書きたいねえというエネルギーの人

なのでそういうのを読むのは好きですね

でもやっぱり文学フリマみたいな造本とタイポの乱れてるようなのは

あまりよみたくない

目がつかれる

タイポじゃなくてフォントだわ

 

贅沢

 

ひっかかってることがあればその世界の中で

どうにか解決できる方法を考えるしかないわけで

それは世界が有限であるがしかしってこと

ですわね

その「その世界」はフィクションの枠をつくるのであれば

その枠の中にはユニコーンは居るとすればいる

わけですが別の軸であるものを消したりできるユニコーンの角を消す

ことができる世界とユニコーンが居る世界とユニコーンがいない世界は

それぞれ別だとすれば勝手に他の世界のそれを持ち込んでも

混乱するだけだみたいな

それがユニコーンの角くらいの物理的な操作(のばす・消す)ならば

まだ軽いわけだがたとえば

薬物によらず自尊心とか羞恥心を消すような操作ができるしかも誰かひとりの

恣意的にできる世界があったとすればそれは

そのひとり以外の奴は操作される側でそのへん戸外を裸で歩くとかする

わけですよ

しかしそれはその操作されてる裸の人はべつに恥ずかしくもないわけで

ではそういう世界では隠された裸が見えたときの興奮は

あるのかないのか

羞恥心のないほうの人からすれば裸であったとしても興奮の材料にはならんわけで

それは気の毒ですね(あるほうの人からみたら 無い人のほうが興奮が少なくてかわいそう)

まあそういう実験的なやつ(世界改編)をさんざん筒井氏などが行って

エログロ的な世界に一旦いったわけだが

べつにそんなにおもしろくない(ずっとそこにいたいわけじゃない)

のか

やらなくなり

SM的な世界がおもしろそうだと村上(龍)氏がそっちにいき

それからかえってきてキューバにいったりいろいろあるとは思うのだが

ここ(いまここ)じゃない世界のほうが面白そうだとなってもまたしかしかえってくる

のであるが

 

なんでかえってくるのか(気を抜くと戻ってしまう

まほうが溶けた 解けたように)

ということもあるが

 

あるねえ

 

だからこうこの世のなにかこの世ならざることが起きてほしい気持ちは

一見リアルであるような世界を舞台として中間小説にいくわけだが

(中間小説ってだれか本当の意味で定義しているのだろうか)

そこでは警察とか恋愛とか喫茶店とか探偵とか美人とか

結婚相談所とか高校生とかアドベンチャーの旅とか

たしかに「日常のつまらない生活」ならざるアイテムをとりそろえてるわけじゃんね

 

なんじゃいな

 

そういうところからなるべく

つまり

そういう装飾的なアイテムをできればなるべく使わないで

いこう(制限をもうけた形で)

というのが純文学なわけ?

(純文学ってはじめに言ったのは誰?定義?のってる雑誌?)

(純とかいってえらいこった傲慢なやつだな)

 

さあどうなんでしょうね

こういうのは科学の定義ではないので

歴史的に誰かがはじめにそれをした

みたいな追っかけにならざるをえない

だいたいそういうことになってるよみたいなね

しょうがないねこれは