迷いとか

迷いとかの

話なんですけどそれは人間が感情のある人間感情のない人間というのを

仮定しまして

 

といいますかオレがずっと考えれてることで

「目の前にいるこれはオレの知る『人間』であると仮定して

だったらばオレとおなじものであるから感情があって

嫌われたくないとか

好きだとか

いい匂いがそこに近づきたいとかの感情があって行動もある

そのようなものであると仮定してこの目の前の「人」に

対応します」

という流れの考えのこと

 

実際にはこれは思考実験みたいなものなので

ほとんどすべての人間は人間(他人)のことを

人間であるというあたりまえの前提をもって行動対応しているので

そんなことを考えるまでもなく考えさえもしないし

思いつきもしないのかもしれないが

いっかい思いつきがあればそこから先はこのこれは人間か?と

判断するところからの開始になるわけです

 

これは同じくすべてLGBTQ+の人がいるときつまりこの+のなかに

アセクシュアル(性愛には興味がないしやらない人)がいるものとするので

人間はみんなあたりまえに人間を好きになるんですい~

という発言がはたしてアセクシュアルを傷つけていないかと考える必要は

もう登場しているわけよね(あれ?これは例がおかしいか?)

 

つまり「結婚してないの?ダメねえ!結婚してはじめて一人前の人間になれるのよ!」

という発言はもうそれ禁止ですとかいう

ことがあるとして

(禁止?)

禁止じゃなくて人間は心のそこでそれ考えるように育てられているぞ?とか__・?

 

つまり「同じ人間」という言い方がどこでも成立しなくなる

なぜなら「違う人間」だからね

 

感情のない人間はいるか?というのは仮定であるが

ない

に等しいような薄い人間とか外に出さない人間は

いるんじゃないかなあ?

 

オレは「コンビニ人間」の新しさってなんだろうとずっと考えてまして

尊敬してる作品なんだけど

なんだろうねえ

 

人間たる条件というのは「存在しない」として

ただそれがたまたま成文法としてそこにあるから殺人は犯罪なんだけど

そうじゃなければ人を殺す人は「人非人」とも限らないわけじゃん

 

(これは「定義」の話?)

 

まあオレは定義の話が好きだからなあ~~