人間の死と死にいたるまで長いこと

下書きかいてた

noteに上げる用

 

それで思ったは

地震で被害にあった当事者とそれをとおくから「祈ります」とか言うやつ

介護をしてる当事者とそれをとおくから「わかります わたしも・」とか言うやつ

 

 

当事者の役にたつことなにもないので なにもできんやつは黙っとれと

いうことで

共通している

 

もし「役にたつ」ことがあるとすれば実際に泥の奥まで足と手をつっこんで

くれるだけの覚悟がある場合だけであって

それこそ鬱の人の自殺を止めることができるのはそばでずっとその陰鬱に付き合いつつ声をかけ続ける人だけでかたときも離れるわけにもいかないし鬱沼にひきずりこまれそうになる覚悟まであるような人だけで

介護の役にたつのは実際に介護を分けて作業に参加するやつだけで

(わたしも とか言ってもケース全てそれぞれが違う体験である特に介護は当事者と介護者とその周辺のやつらの様相がすべて違いすぎてくらべようもなく一般化もできないのではないか(要出典というか・・資料)

災害は当事者がうけた感情は当事者がなおしていくしかないんじゃねーの

とか思うので

まさにラジオが「みんなの声が!よりそっています!」とか

NHKで災害直後(今日だ)にやってるのは

全く無意味なんですよ

バカが

といいたいわけです

そんなことよりふんわり木曜の通常放送やれやバカが

たのしませろ

 

まったく死に至るまでの道が長い

長いよ

 

しかしマジでオレがとつぜんかあるいはじわじわと鬱になることももちろん

ある

そうなればこの狂気にみちた更新頻度の日記ががくっと少なくなるであろう

ことはわかっている(過去の経験から)ので

それでわかるであろう観測気球

 

あと「社会の中で語りにくい語られにくい語る場所が少ない」ことが

この社会にはいくらでもあってそれは簡単に結論が出ないこと

なのだが

結局他人と自分のことであって他人のことは分からないのに

自分を優先すると最悪なのだと

オレはそう思うが

なかなか千羽鶴を贈るみたいな大迷惑(ゴミ捨て費用を考えろ)がなくならない

のである

それは送る側の自己を満足させるためだけにあるし外に向けては迷惑だけ

なので迷惑行為はやめろ!と言うのだがこいつらに話がつうじないのである

話が通じない問題は大変大きい問題なのだがまたどこかで(大きすぎるから)

 

社会の中で語られにくい問題はほとんどすべて他人と自分をきりわけるべきだと

オレは考えていて

介護にしても「全員の問題ではないが たまたまそれが大変になる人がいる」ので

同情も共感もしなくていいが

だけは公共で負担したほうがいいと思うので介護保険制度そのものは賛成だが

Wageが安すぎるのがどうして上がらないのかそれは厚労省の問題である

システム

災害は行政全体が突発に対する考え方を変えないと解決もなにもしない

のだが行政というのがこれまた鵺なので

シッポがつかまえにくいし個人の意思じゃありませんとかいうんだよこいつらは

だから責任を誰もとらない固定されていないぬるぬる滑ってつかまえられない

鬱は

鬱はそれこそ上の2つ’(災害と介護)のように 資金を出すことがある程度助けにはなることとは違って

まさに

人間の「中」の内面の問題であって

これは本当に人間そのものの本質にかかわる話だと思うし

それこそカッコつきの「人間」が発見されうまれたとき(フーコーによれば

本当に近代になってからだっていうね)

から

ずっと

それは解決したいのにどうしても手がとどかない場所の問題だよね

 

それって人間がシヌからでしょうぞ

死ぬことと鬱が関係ないわけないじゃんね

そういう意味で精神分析が役にたとうがたつまいが

言い出しただけでフロイトは偉いわけだが

しぬことを無視など誰もできないのだってことだけ

それは永遠に来ないというのはウソだってことだけ

思うなあ朝からそう思う