認識の歪み 拡大自己 尊厳

 自分と他人の分別つまり

決定する行動する思考する

それは個人に属するにきまっているのだが

世の中には種類として「他人をも自分の権内にあるものとして認識して扱う」

奴がいるのである

つまり他人が服従するのではなくて他人も自分の一部である

(ここでは最初にわかりやすいタイプとして昭和以前から昭和の

民法とかいうまでもなく「家長」みたいな明治的価値をもって

家族はオレの拡大自己であるから一部だつまり内部だと

言い張る奴)ということですが

 

そういうパーソナリティ(家族たとえばこどもの進路とか

親が決めるのは当たり前だみたいなこと言うやつね)

は男性だけかと思えば

拡大自己というのは女性もあるよなあということを

改めて思わせる

ロマン優光による大森靖子の記事

大森靖子の騒動:ロマン優光連載193【2021年08月20日記事の再掲載】 | 実話BUNKAオンライン

である

 

べつに彼女がメンバーのことを支配しているとかそういう話ではなく

あくまで認識としての拡大自己が「愛」という言い方で表現される

こともあるなあってだけで

もちろん愛していればなにしてもいいわけじゃないしその反対であるが

むしろオレは愛とかいうのを本人が持ち出したらもう終わりだと思って

いるのだが

 

まあそれでさ

たにんには脳みそがないということにもつながるわけだよ

拡大自己のやつはぜんぶオレの言うとおりにすればいいとか思ってる

わけじゃんね

天皇かよ

っていう話で

オレは個人的にはそういうことを言いだす奴の脳が足りないのだと思って

いるが

これは考え方のパターンが他人にたいしてそのようにふるまうように

できてしまってもう可塑性がないだけの話である

孤立させればいいだけのことである

まあ集団でなんかすることに興味ないので

オレは関わらないよってことだ

 

世の中は農耕がはじまって以来の人間関係云々のわるいトラブルにだけ満ちて

いるのだがそれについてもいろんなパターンがあるのである支配と被支配

だけではなくてね

 

それを認識の歪みというと「歪んでいない正しいスタイルがある」と

思うかもしれないがもちろん「ただしい」ものなどはない

やりやすいものがあるだけであって

それは人によって違うということである

 

ただ共通のこととして女性でも男性でも

拡大自己のやつは他人の尊厳をなんとも思っていない

という特徴がありこれだけは悪でありつぶしてやるよとオレは糾弾の

意思をかためるしかないのである

ロマン優光も上の記事で言及している尊厳の問題である

拡大自己のやつは他人にたいしての言動が他人にも同じく尊厳がある

ということをまるで考慮も発想もしないので

そこが最悪であり終わりなのである

そういうやつを21世紀に生かしておいてはいけないとオレは考える

くらいの大きい問題でね

基本的人権とかいうまえに尊厳(Dignity)って呼ぶことをもっと

一般化しなくてはいけない

ことばが難しいならもっとかみくだいてやるよ