まあそれでコミュニケーションがさあ

かならず必要になるというのはオレのようなものでも

日銭を稼ぐ労働をするときに雇われているので

その場でコミュニケーションが必要になるし

なんといっても

何がその場でうーん要求されているのか?というと高度すぎるが

何がその場で交わされているのか^説明?

あるいは誘導?あるいは命令?あるいは質問?

それらが幾分まざりあったもの?がそこで行われているときに

そこでそれによる必要のあるコミュニケーションが必要な

わけじゃん

具体的に例示すれば3人いて2人だけがずっと2人で話していたら

3人目は「疎外されている」のかそれとも「離脱している」のか

どっちにしろまざりあわない場合でもときどきたまに

「参加(あるいは茶々をいれる)」が必要かもしれないと思うじゃん

なぜならそのほうが「疎外されてる感を弱める」とか

「参加している感を出す」ことができるかもしれないからです

別に無理して合わせているわけではないそんなにおなじ同士感を出したいわけじゃない

ただ適切な程度(あるいは最低限度)に友愛(敵意がないこと)を示す

必要もあるし

そんなもんです

そんなもんだろう

みんなそんな感じでやってんだろ?

 

とはいえこういう「3人いて3人目」のシチュにおいて

なんもする気がしないこともある(オレにはあった 若いときだが)

わけで

そういうときには「参加しない」をつらぬくわけだが

 

今思えば「参加する」のほうがちっと楽しかった可能性もあるな?と

思うわけですがまあ過去のことですから変えられないね

名古屋出張のときだけどね

 

オレだって過去にはいろんな「ああしとけばよかったかもなあ」があるわけで

むすうにあるね

それはオレの財産なので着実に使っていくよ

 

とかくコミュニケーションはどこにでもあらわれる妖怪のようなもんだ

翻訳というキーワード(技術を情報に翻訳するってつまり「説明」じゃんね)

もあるしね

まさにコミュニケーション

そのもの