我々は というかオレは「そうであってほしい」と
願うあまりに個々の人間の差異を大きくとらえる傾向があるが
嫌だなあと思うのと事実の観測は別のもので
ひょっとして本(フィクション)や映画(フィクション)をみて
ああ|=~
夢の世界のような感じだな|~|
とか
揺蕩う気持ちを感じてるのと
スポーツ中継のすごいやつらをみて「ああ~~夢のようなやつらだな~~」と夢幻を感じるのって
同質なのかい(いやだなあ)
ということかもしれない
オレは「フィクションを読む能力と感じる共感性みたいな能力とかを持たずはぐくまずきたようなやつを軽蔑する」傾向があるのだが
それは単に他のもの(スポーツ)をみて興奮してるようなやつが
そいつはそっちのそれを好む
というだけの話かもしれない
あと往々にして重なっているが
やはり定義としては「日本のスポーツのホモソーシャル性」と
スポーツ能力の「すごさ」はまた別のものだし
「すごさ」は正確には「その特化したある特殊な競技の能力において世界一」
なだけであって
いくらヒットたくさん打つ能力あってもそれが動物たくさん捕まえる能力
とかと同じかってそうじゃない 別
つまりフィクションなのか現実の人間なのかにかかわらず
外界(他人)をみて
ああ~~|これがいいねえ~~こいつがいい===~~すごいね~~|
とかいってる感じ
は誰もがそれをもっている(というかそういうのが人間である)
のだ
というのは認めざるを得ない
人間の条件
人間について考えているがたとえば戸田真琴「自殺は他殺である」というのは
人間は自殺をするがそれは他人との関係性の困難障害破綻破壊その他が原因であって
他人がまったく存在しない世界では自殺もできない
ということだ
自分の中だけに自分の死ぬ原因理由をみつけることはできない
ということで
それなら人間も動物も同じだと思うわけよ
(動物にも動物社会があり同族を攻撃することはある)
自殺かどうかは知りませんが
さて今日は金曜で
レイトで映画みたいなあ~~
ああ~「違国日記」メジャー配給で主演新垣結衣だもんなあ~
いい評判になるといいんだけど
レイトでもやってるけどね
はあ~どうしたもんか
いやさ見るみますよ
みたいんだけどね
「からかい上手」の高木さんの映画のほう
今泉監督のその資質は好きだが
高木さんじゃないんだよ永野さんは
俳優さんが原作マンガあるものを実写にするときには
完全に別ものだと思わないといけないと最近おもっているが
でも「学生と社会人のあいだの空隙を埋める」とか
いわれると
そんなことしなくていいじゃんかいな
と
思うし思ってしまうわあ