めだかボックス

について。誰もが。いろいろなことを思っている。
バクマン。について書くならば、さいきん亜豆が出てこないなあとかアシの女の子はもうちょっと深く描いてくれないのかなあとか結局「漫画家の駆け出し同士のバトルなのかなあ」とかいろいろ。しかしそれはちょっと横においておいて、
 
 めだかボックスについて書きたい。
 超人がどういう超人か、そしてその脇に控えている男はどういう男なのか。当然涼宮さんとの比較とか思いつくが、めだかちゃんには「超常現象をひきおこす力」は無いことになっているのでやめておく。それを置いておいても、めだかちゃんは、なにか、「こわい」ところをもっている。「こわい」ので、あれだけ巨乳で美人でも誰も近くにいない、ということになっているのではないか。一人の男を除いて。
 さて「こわい」というのは、「見透かされているようだ」とか「かなわない、相手にならない、比較の対象ではない」とかいろいろあるが、そうだねえ、どういう例で言うべきか。
ともだちに求めるものは「気安さ」である。ともだちというのは、たとえば本当にくだらないことでも、ぽろっと口から出してもかまわない空気のことである。しかし「こわい」相手を前にしたときには、「本当にくだらない」こと、たとえばちんぴょろすぽ〜ん、とかを口にすることはできない。多分、相手は「その珍妙な言葉はなんの意味があるのか?意味は無いのか?オトマノペか?それとも過去に何かの作品で発表されたのか?」なんて。いやこの程度の想像が追いつかないことを言い出すかもしれない。予想できないものはこわいのである。
 善吉くんはこわくないのかね?
 こわくないんだろうな。予想外のことが、あれだけ幼児のころからつきあっててもそれでもなお予想外のことが飛び出してくるめだかちゃんのことが本当にスキなんだろうね。そしてめだかちゃんも善吉のことがスキではじめから両思いっていい話だなあ。
 なのでこの話は、「想いの熟成をたどる」話ではない。「解決」する話である。生徒(民)の問題を。
 この場合の問題は「トラブル」であって「プロブレム」ではない。
 めだかちゃんは基本的にどんなトラブルもこわくないように見える。否、問題を解決し民の役にたつことこそが己の存在価値の拠って立つ基盤であるといっている。このへんがポイントか。
 なんにせよ西尾作品は読んだことがないのだがめだかを読んでみて楽しめたので西尾作品を活字で読んでみたくなってきた。いいことだ。