リンクは張らないけど(貼らないけど)

まあその、Perfume騒動ってやつで、「どうしてさいごには絶望すると知っていてアイドルなんかに夢中になるんだろう」ってコメがあったのです。ネット上で。
そんなの、決まっているじゃないですか、絶望したいからに決まってます。
絶対に絶望しない保障があるものなんか1%も魅力的じゃない。オレらは全員すべてのものに最終的に絶望することわり定め。生老病死。なかでも老いですよねー時間の経過。時間の経過に絶望しない大人はいない、もししないのであればそれは大人なんかじゃない。いつまでもあがく。
 まあでも音楽はいいですよ、音楽それ自体が残るからね。時間の経過をこえて。
 オレなんかはいまだにhitomiさんの昔のCDとか散々聴きちらかしますよ。ぜんぜんスキじゃなかったけどなんかバイト先のラジカセで大音量でエンドレスリピートされてたのを強制的に聞かされてたらいつのまにか好きになってた。それがもう10年くらい前のことですよもう。いまだに聴く。real love とか最高にいい。
 まあアイドルというものは「音楽やってるのについて、音そのものに対して人間の比重を重くみる」対象だからなあ。人間にあこがれるうちに擬似恋愛が入ってないわけない。
 それでもやっぱり、機械が歌っているより人間が歌っているほうがいいよ。どんなに加工されたとしても人間がいいよ。アイドルなんてのは加工の末の産物といってもいい。いろいろな意見がそこに反映されている。というか自分ひとりの意見で自分がパフォーマンスするようなものはアイドルではない。
 つくられもの。(クリエーター./クリーチャー)
 なんでそういう「つくられしもの」がいいのかねえ。改めて考えてみるけど。
 いやなんかそういうものがいいんだよなあ。振り返って考えると。
  
イヤ。
 さらにひっくりかえして考えると、「恋愛より、擬似恋愛の方がいい」んだ。そして、「擬似恋愛したい対象というのは、つくられものでなくてはいけない」のだ。
 なぜならつくられていればいるほど、精巧に造りこまれていればいるほど、イレこむこちらもどんどん深くイレこむことができる、際限なく、しかも「本物の恋愛」なんかよりももっと深く。金額的に深く。時間的に深く。情熱的に深く。
 それがアイドルである偶像。崇拝。
    ああこわいこわい。なにそれこわい。流行の一端。