↑というのは風呂屋の駐車場で書いたのだが

その後、ジムで汗流してから風呂はいって帰る。すると、なんかいろいろ別にどうでもいいレベルにサガってくるのも感じたりもする。結局、レベルとして自分の現実の範囲テリトリーに入ってくることが可能なものは大変に少ないのである。バリア。
たとえば今はオレはUMPCほしいなー。。。とか考えている。自宅PC前で酒のんでViliv X70について考えている。
 どうして考えているか。
 職場の公用PCが壊れてねえ。いま。同僚ののーとPCを職場に持ってきてもらってそれを使っているのだが、これがミニノートでVista が動いて、結構快適。すると自分もちいさいPCがほしくなるのである。Vilivとか、ナビの役目もできるってゆうじゃん、いま絶賛キャンペーン中。ほらーほしいよーほしいよー。それでなくても物欲かなりひろがっている。困る。
 
 と。
 
 こんな風にすぐにそういう卑近な物欲とかのことに頭がいくのである。さっき書いたばかりの「クライアントの内情」とかのことなんてもう風景のかなた後ろである。
 そりゃそうだ。切り替えは重要だ。なんでもそんなにひきずったらいかん。
 
 とはいえ、もしそれが本当に真に重要なことであれば、ずっと、断続的にでも考え続けるべきである。
 
 オレは知りたいのだ。すべてを。
 
 もしすべてがムリならば、その一部でも。
 そのために本を読んでいるのだ。たぶん春日先生の精神科医は腹の底で何を考えているか (幻冬舎新書)を買って途中まで読んだのもそのことを知りたいからなのだ。まあ途中で止まっているんだけど。読め。嫁とか探さなくていいから読め。