いや

たしかに、なにか「特定のエリア」に自分を押し込むとなにか語ることがラクになるのだが。
わからんのは党派性みたいなものが誰にでも存在するのかどうか。「小市民」とか「普通の市民」とか「地に足のついた」とか。わからん。範囲を、意図的ではなく、極端に狭くすることは可能。TVしか見ないでネットなどみないというか触れない、新聞はちらっと眺めるだけ、でかけるなんてことは県外にはいかない、なるべく普段の付き合いの人とだけ付き合う。えーと。
 オレの方針とかは「なるべくひとりでやる」なので、そいう意味では、正反対といえなくもないが、ただベクトルが違うだけなのかもしれない。
 オレだって別に世界を広くしたくてやってるわけじゃないのである。
 ただ邪魔されたくないだけだ。 
 他人に向けてのことばはできるだけ抑制されるべきだ。
 なせならばそれが「tidy」という言葉の良心じゃないかと思うからだ。
 きちんとしている。
 整然とした、明晰な。
 人がいつもエントロピーの増大に抗う動物である、その所以はわからないまでも、なにかを「整えようと」している姿こそが人の人たる基盤ではないのか。よってtidinessくらい大事なものは無いと思うのである。
 いいたいことをやたらに表出したりついったーで5分おきにポストしたりするのは慎むべきであると思うのである。