今日はこれから

駒ヶ根にいくのだが。それはそれとして、
 
http://d.hatena.ne.jp/Imamura/20091008/help
「助けてといえない」30代
クローズアップ現代10/08)
 
書き起こし本当にありがたい。Vで見るよりこの方がつたわるのではないか。
 
マジでおそろしいと思うことは「同じ30代、中には社会人として働きいまでは家族をもち」という人もいて、そういうのを思うと自分は負け組であり、誰にもなにもいえない、ところ、だ。
おそろしいというのはオレもそう思うからである。
自慢じゃないが(ぜんぜんだ)オレも同じく無職-フリーター-バイト-クビの連鎖とかからやってきたので、現状ギリギリ正社員とかになっていても、すぐそこに無職は待ち構えているように今でも思うし、家庭をもつ同級生には連絡しにくいのが本音。自分がどーしよーもない独身者であるということだけで。本来関係ないはずだと一方で思っても。
 
しかし生きるほうを優先する(どう生きるではなく、死なないで生きる、の方)ならば、生きてるだけでまあいいかになるのである。生きてるだけで大失敗でいいんである。なにしろ生きてるのだから。
そんでもって生きていられるとつぎには「どう」が出てくるんだとおもう。人間には自尊心があるし自尊心はなかなか捨てられない。捨ててしまうとふりきって向こう側にいってしまうし向こう側にいくとなかなか戻ってこられない。本格ホームレスになってしまうとそこからの復帰は大変である。たぶん感情とか考えの問題で大変なのではないかと思う。分類としての精神障害を発症する率が高い。それがいけないといっているのではなく、事実そういうことが高い確率でおきているということだ。
自分が生きるための方法を正しく(間違って死ぬような方向でないように)選択すべきなのだが、それができないー助けてといえない、のは、ある意味、それも病なのではないか。ひろい意味で。
 
まあこういうふうになっている社会がそれ自体病んでいるといえばそれまでなのだが。
 
逆に、オレなどは、もしオレがここでなんかの偶然で家族なるものをもってしまったら、そこからいったいオレにとっての欠落って何、と悩みはじめるのではないか。なにしろ高校のあたりから今までこのかた欠落なかったことないので社会的にこれでOKくらいの条件がもし整ってしまったらいったい何を。禿か。いやそれはもう20年くらいつきあってる現象だからなあ。
 まあこれがいらぬ心配であって「偶然」そんなことは起こらないのである。
 よってオレは悩みがつきる心配をしなくていいのである。なんて幸せなんだ。
 
 ともあれオレにとってはこういう欠落とか負けとかの問題は一生すぐとなりにあって考えざるをえない問題だしということを再認識できただけでもオレはよかったがオレだけがいいんではいかんのであった。メモ。