考えがまとまらない

いや。坂本真綾さんについてなのだが。
31日がライブ、車で帰宅したのは4/1AM3時近く、ちょい寝て朝おきて会社、そのまま会社に泊まり、いま4/2の16時ごろ帰宅してきてあららのら・会社長いよ。ずっとなんか反芻とかしてて。
真綾さんについて考えていたがまとまらない。
まあ基本にはオレは菅野さんのつくる曲がほとんど全部大好きというのがあり、その縁ではある。
 それから。
 女性のソロのアーチストを中心にここ20年くらいは音楽を聴いているような気がしている。
 アイドルはアイドルで好きなのは高校のときから変わらない習慣である(おニャン子世代)。
 境目みたいなものがある。
 
 アイドル好きなのは、偶像がすきだからだ正直。偶像はいいよね。好きなだけ憧れることができる。すばらしいと崇め奉ることができる。そのための偶像だ。
 タレントの人というのは偶像ではないのでそのへんにいる人間である。好意をもてるようなタレントさんもいるが、タレントさんというのは別になにをしているわけではなく、オレの印象では「TVの中で、楽しそうにしている姿を、見てる人に見せる仕事」である。CXで昔掃除のバイトしてて、タレントに支払われたギャラの高額なことには驚いた記憶がある。事務所取り分とかぬいたら本人には少なくなるんだろうけどね。
 アーチストといえる人は、自分の身を削る人である。自分でなにかをゼロから作り出す人である。
 ちなみにこないだゆかり姫がラジオでおっしゃっていたのは「ゆかりは自分でつくる人じゃないから」という正鵠を射た発言。ゆかり姫はトップブランドの「歌い手」である。誰かがつくってくれた曲をうたう。それもこれいじょうなくうまく。よく「CDと同じ」という言われ方をするが、これが本当なので、なんだろう、特殊な才能である。
 で、自分で「削る」というのは、自分の中になる何かを必死に変換して形として他人の目にみえて他人の耳にとどくようなものをつくりあげるということである。
 真綾さんがピアノをギターを作曲を少しずつやってやりはじめていくことになにかとても大事なことがあるような気がする。
 高校生として「出会い」により歌い手として出発して菅野さんのあらゆるタイプのすごい曲をどんどん歌ってきたあとに、また違う出会いがあって、やがてなにかが真綾さんの中に生まれたのだと思う。
 
 たとえばYUKIさんなどは自分のCDはセルフプロデュースだ。作詞も全部する。曲だけは違う人がつくる。
 
 で、ところで「好きになる」ことは、上記のどこにはいるのかね。誰かを好きになって好きだからそのうたをききたくなる、歌っている姿を生でみて会えるからライブに価値があるんだということはどこに。
 さあ。
 
 真綾MCはまじめすぎると思っていたがいま思い返してみると含蓄が深くていろいろひっかかりも多い発言だったし、ひとつひとつをDVDで改めて見返してみたいと思うライブだった。
 
 幸福というのはひろがっていく。