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いかんいかん。感情にひきずられていかん。不安も怒りも。
 
どっちもオレの脳内でうまれたものだ。やめとけや。オレはもっとオレ自身に配慮すべきなのだ。自己への配慮。 
 
自己への配慮 (性の歴史)

 フーコー。ミシェル。
フーコー伝」、読み終わらないまま古書店に売った気がする(古書店主はオレのバイト時代の友達)。いつかまた読むことがあるだろうか。
 
 
ミシェル・フーコー伝
 
 まあ、フランス人、天才、哲学、アメリカへ、そして西海岸、そしてゲイ。
 
 スキンヘッドで天才というのがオレの好きな偉人。
 
 いろいろ、本当にいろいろあったあとの最後に、哲学者が何を言い出すのか。
ヴィトゲンシュタインは「言語ゲームだ」と言いだし、フーコーは「自己への配慮だ」と言いだし、あとはオレが好きな哲学者はレンズ磨きで金を稼いだBenedictus de Spinoza なのですが彼は最後の方で何を言っていただろう?
 スピノザがいまでもかなり言及される哲学者であること、ユニークであること、の源泉には何があるかというと、それは彼の言った「神=世界」全体を覆う、というスタイルの独自性だと思われる。
 
 なんというか全体が覆われていてひとつであるという思想はなんだか安心できるような気がするんである。よさそうでしょう?
 
 じっさいに世界はたぶんひとつなのだ。星としてはひとつなんだからな。
 
 そこに「神」がいるのかいないのか。それは信じるか信じないか、であるが。神を「神と読んでもいいような文脈がある」と考えてもいいと、多くの人がそう思うところにスピノザの立つ土地が存在する。
 
 呼ぶではなくて読むである。